■ コラム

4月に実家の草刈りしたばかりなのに、今年は植物の成長がものすごく畑全面に背丈ほどの雑草が生え揃っていました。IMG_2041.JPG


3日掛かりで刈り取ってひと段落。

天気予報は台風7号が紀伊半島へ上陸するらしいので、晴れているうちに
計画していた海水浴に行っておくことにしました。







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学生時代は夏休みになるとバイクで海水浴に行くことが遊びでしたので
60歳になっても同じようにバイクで海水浴に出かけるのが希望でしたので
ようやく叶いました。

場所は愛媛県の北端、今治市波方町の大角公園になります。
家から37キロ、1時間足らずで着きました。

海の向うに、しまなみ海道を臨む素敵なロケーションです。
近くの岬には村上水軍の番所跡などがあり
散策しても楽しい場所です。


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公園内の丘の上に巨大な展示物が見えます。

どんな船体の物かは説明書きのエッチングが擦れて見えませんでしたが
高さ5.5m 重さ9トンの鋳鉄製プロペラです。
強度の必要な部品ですから
鋳造の2度注ぎは湯境の原因になるのでゆるされません。
製品と湯口で10トン程度の溶解した鋳鉄を一気に注湯できる設備を持った工場があるのでしょう。

これほど大きな砂型鋳物は滅多に見れません。
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同じ高台にもう一つ、波方町のシンボル
50万トン級の大型タンカーの錨です。

高さ5m、重さ20トンの鋳鉄製、鋳出し文字にも表していますね。

これはさらに多くの溶解した鋳鉄が必要で
当然一回の注湯で鋳込まれた砂型鋳造であります。

来島ドックからの提供ということですが
これだけの重量物を山の斜面の狭い敷地に据え付ける技術も相当なものです。
当然山には運搬できる道路がないですから
数10メートル下の道路から巨大クレーンで上げただろうと思います。

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日程は一日しかなかったので、もう一か所海水浴場はしごしてきました。

ここは大角公園から西側にある細長い半島の岬近く、七五三ケ浦(しめがうら)です。
コロナ禍の最中に偶然見つけたのですが
3年前は道路が大雨の影響で崩落しており
通行止めだったため貸し切り状態でした。

現在は道路復旧していて大勢のキャンプ客で賑わっていました。
波は穏やかで泳ぎやすい海でした。
毎年海はここで決まりかな。

ここへ来るワインディングも舗装がよく、バイクで来る楽しみの一つです。

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実家に残されていた中学校の卒業文集に
僕が描いた挿し絵を見つけました。

全く記憶に残ってなかったですが
この絵のモデルは
実車や写真ではなく
タミヤのプラモデルを作って
それを見ながらデッサンしたものでした。

小豆色のカワサキ750RS
今では高嶺の花。
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ハスラーTS250 8型

文集の中にはこれを中古で購入したいという記述がありますが
一度も乗ったことも購入もしておりません。
文集の内容は中学時代の願望そのものを書き綴ったものでした。

穢れのない純粋だった少年時代。
どうやって頭が犯されてきたか
その後の45年がどのように展開されていくかは、このころの自分に知る由もなかったのです。
(株)カワサキモータースジャパン、衝撃の女性代表取締役社長・桐野英子氏就任
東京外国語大学出身ながらカワサキのフラッグシップ・モデルH2SXや市販モトクロッサーKX250F、450Fのデザインにも関わった敏腕技術者で、その才覚はフランスカワサキ駐在時代から発揮され、そのマーケティング能力により大型ネイキッドモデルZ1000のラインナップを提唱し、欧州での大ヒットに繋げた実績を持つという同社長。
国内2輪販売会社の女性トップとして唯一、そんな桐野社長率いる新装カワサキプラザ店へ顧客として行くことになりました。
町のオートバイ店は自転車や原付を扱いながら大型2輪も時々販売みたいなイメージでしたが
近年の自動2輪車の高品質高機能化でメーカーのレクチャーを受けた整備士が常駐していないと、あらゆるサービスに対応し難いという背景があるのでしょう。
4輪だとホンダ車はホンダカーズ、トヨタ車はトヨペットで専門的に扱うのと同様、
ホンダはドリーム店、カワサキはプラザ店という事業形態が時代の流れとなっているようです。

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都内某所 カワサキプラザ店にお邪魔しております。

大通りに面した、ゆったりとしたショールームと商談コーナー。

なかなか用事もなくこのような立派な店舗に入ることがタメラワれるのですが
ここの旧店舗で購入したバイクの法定点検の案内が届いたので、新店舗に来店する良い機会と捉え、朝から高速道路走ってやってきました。

カワサキのニューモデルばかり250から1000ccまでディスプレイされた店内。
在庫や預かり車、整備工場は地下の広々としたスペースに置かれ、整備中の車両のモニターはこのフロアから確認できます。
開店直後なので僕が貸し切りのフロアで展示車をなめ回してきました。

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ネオクラシック・Z900RS

ツートンのシングルステッチのシートがオシャレな、Z1らしいティアドロップ型タンク。

初代Z1は4本マフラーが迫力のスタイルでしたが新型は標準の集合マフラー。
カスタムの必要が無いよう最初からカフェレーサースタイルにしたのでしょう。
ビキニカウルも後付けすることがありません。

現行のカワサキ車で一番乗ってみたいのはこれです。


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H2SX、ムムーでかいな。
ちょっと乗りたくないかな。
スーパーチャージド・リッターバイクって
どんなだろうとは思いますが
乗る場所は選ばないと、楽しめないではないでしょうか。

とにかくスペックで選ぶならこれ以上はないと思います。






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廉価盤の(失礼)Z900ですか

最近流行りのネイキッド・スタイル
Z1とは違う設計のエンジンみたいですね。
現代の大型バイクの主流みたいな位置付けかもしれません。

サーキット走行意識したフルカウルモデルからするとかなり低めな価格で走りは十分速い、世界的に人気がある所以でしょう。





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待望?の250cc4気筒 ZX25R

インプレッション動画などでは高評価の
マルチエンジン250ですが
車検のいらない4気筒モデルは魅力ですね。
魅惑の20000rpmも体感してみたいし
大型乗るのやめたらこれに行きつくかもしれないダークホース的存在です。







さて法定点検ですが36か月点検ではがきが来ておりましたが、去年の車検時に自分で点検してユーザー車検したので、12か月に変更です。
法定点検実施してないと故障したときにメーカーの保障が受けられませんと書かれていたので、一応
ユーザーの権利は守っておこうということで、頼むことにしました。
点検費用はアルパインスターのモトクロスブーツが買えるくらいと申しておきましょう。
1週間後引き取りにくるので、電車に乗って帰りました。

久しぶりに傘マークのない天気予報を見て「明日決行するぞ」と前日急に思い立ち
以前から行くつもりだった裏榛名の峠を走ってきました。

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午前7時榛名湖到着

自宅を5時半に出発
関越道を高崎ICで降りて榛名神社の峠から
湖畔に上がっていきました。

前回来た時は劇画「頭文字D」の舞台、伊香保へ下る峠を走りましたが
今回はもう一つの吾妻川方面に下る峠
通称「裏榛名」を走ってみる目的です。

ここまでトリップメーターで98km。
なかなか近いです。
早朝なんでクルマも空いてる。


20分ほど湖畔で休憩して体をほぐしてからスタートです。
リッターSSを1時間以上乗ったら体に力が入りっぱなしでガチガチに凝ってしまうのです。

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裏榛名は評判どおり、道幅は広く
急勾配やタイトコーナーはあまりないので
榛名山の峠三つの中で一番快適に走れる場所だと思います。

残念ながら今日の路面は夜中に雨が降ったのかウエットコンディションのコーナーが多く
濡れた落ち葉など、スリックタイヤで踏んだら確実に滑りそうなので
軽く流す程度にしておきました。
大体カーブや距離が分かったので、
今度乾いたときに走りに来たいです。

榛名湖から峠の終わりまで10kmくらいあるので、ダウンヒルとヒルクライムで20km堪能できそうです。
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午前中に帰って仕事するつもりで来たので
さっさと来た道を戻ります。

さすがに高崎市街はノロノロ運転で
炎天下の中、ファンヒーターのようなエンジンの排熱を浴びながら苦痛の帰路です。

高崎ICから関越道でぶっ飛ばして帰りましたが東松山付近で給油インジケーターが点灯しました。
満タンで出発してからトリップで214km
フューエルゲージはないので
マルチファンクションメーターのガソリン消費量と走行距離で残り走行可能な距離を推測するしかありません。
鶴ヶ島IC降りてトリップ223kmでGSに到着。メーター上の平均燃費は19.4km/Lですが満タン法で燃費計算すると12.85L給油で(ハイオク指定ですぞ)
燃費17.4km/L、大型2輪にしては低燃費でしょうか。
航続距離は長くないので200km以上走るときはGSがある場所をルートに選ぶ必要がありますね。

午前10時ちょうどに帰宅。午前中200kmツーリング行っても十分仕事できます。

90年ごろに全日本モトクロス会場として建設された同コース。ビデオニュースで見たくらいで私は現地へ行ったことが無かったですが
折角、四国に帰っているのに行ってみるのもいいかなと、急に思いたちました。

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帰省の主目的は実家の管理ですから
やることやってから遊びにいきましょう。


4月に刈り取った草が、このように生えそろって車両が入れません。
いつものことなので驚きませんが
猛暑の中、重労働は老体には堪えるのお






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遊びに行きたい一心で、全力で草刈りして
このとおり一日できれいにしました。


明日、美馬へいくぞー!





山の畑も残っているんですが、モトクロス場は土日祝しかオープンしてないそうなので
畑の草刈りは月曜日からにします。


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実家から120kmの距離、高速使えば1時間半という位置ですから
埼玉の家からMX408と同じくらいの距離ですね。

徳島県の道は全然走ったことがないので
グーグル・MAPを頼ろうとしたのが最大のミスでした。
グーグルは最短距離を表示するようにできているみたいで、最寄りの美馬ICから確かに最短かもしれないけれど
今まで経験したことがない酷道へ案内されました。
道幅はキャラバンで一杯くらいの急勾配の道が10キロ近く続きますが、途中で落石や倒木もあり、路肩はガードレールのない崖です。最悪なのはカーブが上りながらV字鋭角ターンです。
10か所くらいは内輪が空転しながらフルロックターンでないと曲がれないコーナーがあります。
対向車きたら離合不可能なので、ペーパードライバーの人はグーグル・MAPの案内に従わない方が賢明でしょう。

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同じ道を帰る自信がないので、ちょうど来られていたMFJ四国ブロックの人に安全な道を教わりましたので、帰りは安心です。


朝一誰もいなかったので、もしやクローズかと思いながらコースウォーキングしてみました。
「か、固いじゃん!」関東のどのコースにもない独特の路面です。土に大きめの砕石が埋まって固まった感じです。
ここで転倒したら肉が裂けること間違いないでしょう。
クローズなら走らないで済む、こんな路面は見ただけで十分だ、帰ろう。

と誰もいないコースで弱気になった自分がいたのですが、ウオーキング終わったら人が来始めて
「やっぱり乗らなきゃいかんのかな、トホホ」と気持ちを切り替えて準備しました。
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最終ストレートのリズムセクション?
間隔広めのフープスという感じですが
スピードが乗っても安全な形、いいですね。

最後のテーブルトップもいい形。

ガッチガチの路面もタイヤの性能のお陰で
走ってみると不安ではないですね。
むしろ動かない固さのおかげで舗装路のように走れます。

関東のコースにありがちなタイトコーナーがなくて気持ちよく開けられて、満足度は高いですぞ。

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台風接近中の予報でマディーを予想していましたが、見事に外れて日中は快晴でした。

なのでソフトタイヤではブロックがもげそうなので、ミディアムに変更してから乗りましたが、バッチリ正解です。

逆に濡れているとどうなのか、石が埋まった路面にタイヤが噛むと思うので
関東ローム層のようにニュルッとくることはなさそうです。

今回は荷物の関係でフルサイズ積めなくて150を持ってきました。
次回の帰省も美馬をスケジュールにいれること決定です。
さて朝来るとき怖かった順路ですが、教えていただいた道をおさらいする形で、木曜に埼玉へ戻りながら
全部一般道でコースまで行ってみました。
実家からR11で川之江からR192で徳島方面へ、高校野球で有名になった池田から県道12を吉野川に沿って走るのですが、大雨で視界が悪く教わった交差点を見過ごしてしまい、美馬ICまできてしまいました。
ついでなので別ルートも走っておこうと、R438から行くルートで上ってみました。
分岐点には全て美馬モーターランドの看板がついていてわかりやすいですが、美馬ICから20kmも山道上ります。
では、下りはMFJの人から教わったルートで12kmでした。愛媛から行くなら断然県道12の三野町から上るのが近いことがわかりました。これで次回はナビ無しで来れるぞ、と。

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畑の草刈りへ行く前に、気になった場所へ行ってみました。
実家からクルマで12分のところに「瀬戸内海サーキット」というロードコースがあるという。

隣町の丹原町にあるのですが、ただならぬ設備の行き届いたサーキットです。
駐車場は全面屋根つき、アスファルト舗装

水洗トイレに軽食喫茶店(現在食事の提供は中止)はサーキットにはお約束です。
ドライバー以外のお客さんが来て快適でなければ、そのスポーツは流行ったりするわけないです。 ゴルフ場しかりですね。
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ホームストレート前のパドックも全面屋根つきで
その上が管制塔と屋根付き観戦スペースになっています。

このような田舎に(だからこそか)これだけの施設を建設したものです。

コース幅も十分で複合コーナーも多く本格的です。





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最終コーナーを縁石踏みながら立ち上がっていくS660。

そうです、ここは4輪とカート専用サーキットなので、通常の2輪枠はありません。
なので2輪販売店が貸し切りにして走行会はできるようなので
2輪で走る場合は参加者集めて借りるしかないです。

朝から、愛媛ナンバーはもちろんですが
三河ナンバー、滋賀ナンバーの改造したクルマが自走できていたので関西地方ではメジャーなサーキットなのかも知れません。

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オーナーさんのコレクションなのか

コスモスポーツやテスタロッサがガレージに保管されています。
他にも複数、名車のコレクションがありましたので、オーナーさんの財力が伺いしれます。

知らんかったナー、この丹原町にですよ。
コッチの方も日程チェックして大会日に観戦しに来たいです。




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もう慣れましたが、4か月放置するとこのようになってしまいます。
近隣の果樹園に迷惑(雑草の種が飛んでくるから)なのと
管理者不在が明らかなので、何者かが無断で侵入した形跡があり
出来る限りキレイにして個人所有の土地であることを明確にしておきたいです。






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ここは二日掛かりで刈り払いできました。

もう10回以上やってきたことなので
作業日数が分かるようになったので
予定は立ちやすいです。

私有地なんでバイクも走らせたいですが
草を寄せて道を作ったり、重機で整地もしないと快適にならないので
日程が少なくて走行には至っておりません。

土地を放棄してないよ、というアピールが目的なのです。


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そして、美馬の順路を確認し終えて
再び県道12を鳴門方面に向かいます。

県道12は池田ー鳴門線という道路名なので、これまた行ったことのない鳴門公園を目指します。

すると、四国第一番札所の門を発見。
ここが四国八十八か所札所の一番目の霊場、「霊山寺」ですね。

実家から近い横峯寺は険しい遍路道を山奥まで歩くイメージなので、普通の県道沿いに現れると、いまいち満足感が湧きませんが、本堂へ入ってお賽銭しておきました。境内にあるお池の錦鯉が見事でした。蓮のお池は極楽浄土の様子を表現しているのでしょう。

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鳴門公園展望台、着きました。

実は初めてではなく鳴門大橋建設中にきたことがありました。

39年前、高専の5年生ころ
同級生のKK君はカリーナ2000GT
私はホーク2(CB400T)の2台でつるんで新居浜から爆走してきました。

あのときも同じ展望台から鳴門海峡の巨大建造物を眺めていたのを思いだしました。
KK君はジョノカー連れだったので、私は一人ですっ飛ばして帰りましたので周囲をよく散策してなかったのです。
鳴門公園、思っていたより素敵な場所でした。公園に向かう海岸はビーチになっておりサーフィンに興じる姿など見られ、大自然と巨大建造物の融合した景色、岩礁を急激に流れる潮のようすなど
ここでしか見れないもの満載です。
道路もいいので、今度四国ツーリングのルートに入れたい場所です。

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展望台までは外の遊歩道で上がれるのですが、建物の中にエスカレーターがありました。

どうやら「東洋一長いエスカレーター」だそうで、上から見ると下が小さく見えます。
カメラに対して窓が水平なので、目の錯覚が起きていますが、これは急勾配なのです。
逆にエスカレーターのステップがこっちに向かって起きているような感覚です。




いやいや今回の旅は予想外の物が幾つも見られて飽きることがなかったですが、時間が経つのが早くて既に埼玉の工場で業務が開始されようとしております。
今回は徳島ルートが一般道だったので帰路887kmでした。
朝8時半実家出発⇒美馬と鳴門によりながら、夜11時半埼玉到着、15時間連続運転でした。


私の生まれた年に生産発売されたヒストリックバイクがあります。
名神高速も開通してない1963年に鈴鹿サーキットを建設し、レース組織MFJを発足させ
同時に第一回日本GPロードレース選手権にエントリーするための市販レーサーまで生産したホンダ。

その記念すべき最初の市販レーサーCR93(125cc2気筒)であります。

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CR93ロードレーサー
これと同じ車体の公道バージョンも発売され
総生産台数200台余りという希少モデルですが
同じ町内会のレストア場で全バラのCR93を見ました。
殆ど知らなかったですが
63年当時のエンジンがツインカム、シャフトドライブのギヤトレインと4バルブの2気筒であることに驚きました。
後世に同じスペックの125ccは生産されてないですからね。

そして運のいいことに、もう一台のCR93が組み上がったばかりで庭で押し掛けしてエンジン音を聞かせていただくこともできました。
過去にきいたことのないレーシングエンジンのサウンドにしびれました。
私の地元から近い香川県にはCR93が多数保存されているらしいですから不思議なものです。


市販レーサーCR93のベースとなったに違いないワークスマシン、RC143

おそらく世界でもトップクラスの予算を投じたレストア工場がホンダコレクションホールだと思いますが
そこで動態復元のための作業を収録した番組です。

展示車を見ても分からなかったエンジン内部の秘密が明かされます。
抜き取られたクランクシャフトから同爆(360°クランク)であること
2本のカムシャフトの回転方向を同一にするためのプライマリーギヤを含めて4枚のカムギヤが
ヘッドに繰み込まれていること。
通常バルブのシートリングをベリリウムカッパーで製作し、液体窒素で冷却収縮したものをはめるのが定番のヘッドチューンですが、これは燃焼室全体を一体型のベリリウムカッパーで製作して、アルミのシリンダーヘッドに繰み込んであるということ。

63年の図面は手書きの紙図面でありますから、再生する部品の生産を現代の加工機で作るための
データ化など、大会社の動態復元の手法が垣間見える、よい動画でした。

震災の前日から製作に取り掛かっていたタンク作りですが、3日ほど動揺して通常の業務ができませんでした。とりあえず、やりかけた仕事を完了させるべく再開しましたが、計画停電で一日のうち3時間くらいは業務中断になってしまい、非常に効率悪いです。

被災地の電力不足、燃料供給不足を考え、工場の空調や石油ストーブを止めてやっております。幸い寒冷地ではないので、寒いですが我慢しながら仕事しています。これも支援の一つと考えております。

義援金や救援物資だけが災害支援ではありません。最も強力な支援は国の力だと思うのです。自衛隊や消防庁に指令を出したり、車両を動かしたり、職員の人件費を払ったり、全て税金でまかなうのですから被災していない地域の人ができる最も重要なことは、今やっている事業をしっかりと遂行して税金を払うということであると思っています。

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アルミ板金でこしらえたガソリンタンク。

オーナーさんはジムカーナでNSR250に乗っていますが、ノーマルタンクの張り出しが大きいことと、エアクリーナー吸気口を塞いだデザインを改善するという目的でタンク製作に踏み切りました。

フィラーキャップはノーマルを使用していますので鍵を使って開閉します。

 

 

 

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タンク底板の形状です。エアクリーナーボックスを逃がすデザインです。

中央付近に二つ穴が設けていますが、フィラーキャップの構造上、エアベントと水抜きのパイプがタンク内部を貫通しています。

 

 

 

 

 

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車体に装着した様子です。

フューエルコックは左下に設置してあります。

レーサー用の部品で、リザーブ無しです。

タンク容量は13L、大体これでご要望にお答えできると思います。

停電や燃料の調達が悪く通常より効率悪いですが、まだまだバックオーダー抱えておりますので、なるべく早く仕事を進めていくだけです。

91年頃、会社員として最後の仕事。当時ホンダがエンジン供給して英国ローバー社で自動車を生産していましたが、次のプロジェクトは英国で完成車工場を立ち上げることでした。エンジン工場はすでに稼動していましたが、車体工場は全くの更地の状態。部品メーカーの選定や打ち合わせ、職場に導入する設備の調達などの目的で英国に長期滞在していたころの話です。

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勤務先のホンダオブUKは土日休日のため

休日は社用車を借りて観光です。

これはバッキンガム宮殿前、エリザベス女王の住居ですね。

イギリスは道路が発達していてロンドンを中心としたリングロードと放射状に伸びたモーターウェイは日本が明治時代に首都圏の道路の構造を参考にしたというほど昔から完成されたものでした。

移動の殆どは社用車で行うのですが、ロードマップを見ながら好きなところへ行きます。

大抵の日本人はゴルフ三昧で、サマータイムの時期は、夜10時ころ日没なので平日でも夕方からコースへ出てラウンドできるくらい昼間が長いのです。冬は逆ですけど

朝は3時から明るいですし、一日が非常に長く感じられます。

 

 

 

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英国は街ごとにレース場がある感じです。

国土が適当なアップダウンがあって樹木が少ないのでMXコースが自然の地形のままできるのです。一日に何回も小雨と晴れが繰り返す天気なので、コースコンディションが常に良好なのです。

それからオートバイメーカーの多さでは日本の比ではありません。さすが産業革命の国、日本メーカーは英国車の真似をすることからオートバイ製造が始まったのでしょう。

そして、ライダーの体格。250ccのマシンがまるでミニバイクのように見えます。この男たちとぶつかり合うことが日本人にとってどれだけ不利なことか、この男たちの体格を見れば想像がつくでしょう。

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ブリティッシュチャンピオンシップのスタートです。美しい緑のコース、どこでもこんな感じでパドックも観客席も緑の草で覆われています。

人口的なセクションを作らずとも、ダイナミックなコースができています。

英国ではライダーのことをジョッキー(騎手)と呼びます。オートバイが馬の代わりであることを示す文化の象徴でしょう。

このレースのスピードを観て、当時全日本チャンピオンだった宮内選手が彼らと走ったとして、はたして通用するだろうか?と思いを馳せましたが、その答えは翌年、鈴鹿サーキットで開催された世界選手権で答えを知ることができました。

 

 

CIMG0264.JPGプライベーターのマシンと思われますがメーカーのロゴを大きくアピールしたグラフィックはヨーロッパからの発案でした。

日本ではこのようなオリジナルのデカールなどはワークスマシンだけのことで

市販車に貼るデカールなどは全く見られませんでしたが、英国では既にオリジナルデカールが多数販売されていました。

 

 

 

 

CIMG0266.JPGレース場の売店で現地のオリジナルデカールを購入して自分のマシンに貼っていました。

日本ではこれが最初だったでしょう。

テクノセルというノンスリップ加工のシートレザーも現地で仕入れてきました。

マシンは91年型CR125Rですが、長期出張で練習不足。この年は殆どレースにでられませんでした。

それが会社を辞めることになった一因かもしれません。

 

レースの開催日や場所は現地のオートバイ雑誌を購入して調べて行っていましたが、その雑誌の記事のレベルが日本のものとは隔絶したものを感じました。例えば素人向けのメンテナンス講座などではなく、本職のオートバイ屋が参考にできるような解説とか。

ステアリングヘッドのベアリングの圧入が緩んでしまった場合のバックアップの方法とか、燃焼室のスキッシュの変更とその効果や排気ポートにサブチャンバーを追加して容積を変更する手法とか、実戦で培われたメンテナンスやチューンアップの方法が惜しげもなく紹介されていて、大変面白かったことを覚えています。さすがモータースポーツ先進国です。

CIMG0265.JPGこれは世界選手権125ccクラスのステファン・エバーツの走りです。

当時16歳でしたが、こんな速い125ccの走りは他に見たことがありません。

確かこの年、初チャンピオンを獲得しています。

他にも日本では見られない500ccのGPも観ましたがCR500の市販車でチャンピオンだった、ベルギー人ジョージ・ジョベも観ることができました。

 

 

CIMG0267.JPGこれはF1、イギリスGPでシルバーストンに行ったときのスナップ。

コースサイドまで自由に入って芝生でくつろぎながら観れます。現地の応援団は凄まじく、自国のドライバーに対する声援はF1サウンドに引けをとりません。

観戦のしやすさは鈴鹿とは比較にならないでしょう。コースの近くに駐車場も沢山あるので、当日渋滞もなくゆっくり来れますし、チケットも当日、自販機で購入して即入れます。

このレースはウイリアムズのナイジェル・マンセルの母国GP優勝でした。

CIMG0269.JPG帰国してしばらくして、当日の朝まで極秘でVIPが狭山工場に訪問すると聞いていました。セキュリティーのためか当日、知らされたVIPの名前はチャールズ英国皇太子妃ダイアナさんでした。

間接部門から歓迎のため100人ほど選抜されて出迎えしました。

ダイアナ妃もモータースポーツ好きでクルマの生産現場を見たいということで、東京から一番近い本田の狭山工場に白羽の矢がたったのでしょう。F1のエンジンを英国のコンストラクターに供給していることも関心を持たれた要因でしょう。

無線で「ただ今関越道川越インターを通過」という連絡が聞こえ、間もなく前後を警視庁のパトカーに護衛されたロールスロイスに乗ってダイアナ妃が入場されました。パトカーはニッサンスカイラインだったことが残念ですが、警視庁もレジェンドのパトカーを用意してもらいたかったですね。クルマから降りてきたダイアナ妃はどの男性従業員より背が高く見えましたが、もともと180cmでハイヒールをお履きですから、かないませんね。

MXの修行にアメリカを選ぶ人が多いですが、アメリカは広すぎて田舎です。イギリスはモータースポーツが凝縮されていて技術的に濃い感じがします。世界でリーダーシップを取るには、世界を知らなければならないでしょう。

オール読物新人賞作品、佐々木譲原作の小説を、にっかつが実写化したビデオフィルム。

この映画封切り当時、80年ころだったと思いますが、オートバイ誌で上映されていることは知っていましたが観ることはできませんでした。それもそのはず、ポルノ映画の劇場でしか上映されていなかったので学生だった私はどこでやっているかわからなかったのです。

最近になって埼玉ラングラーズ・・・もとい、チェッカーズの島田さんからお借りして観賞できました。

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主演:石田純一(新人)が岩田貞二役、洋子役が熊谷美由紀(故松田優作夫人)という大物役者を起用しています。

2輪を題材にした映画で好きなのは「汚れた英雄」と「マッドマックス」でしたが、これを観てからは後世に残したい2輪映画として一番に挙げたいと思いました。

時代背景がモトクロスを始めたころの私たちと全く同じで、しかも練習場として映像にも登場する、吉見のコースや高坂のコースが写っているばかりか、セーフティーパーク埼玉や鈴鹿サーキットのレースシーンもたっぷりと収録されています。

しかも、映画の取材も行われたチェッカーズの原口選手や石神選手がライダー役を務めていたり、岩田貞二のライバルの根元役は鈴木秀明選手という豪華な顔ぶれで、これはフィクションではなく実録といっても過言ではありません。

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基本はポルノ映画なので、貞二と洋子は本田航空の滑走路脇でラブシーンとなりますので18禁ですが、今時の中高生はもっとすごいの見てますから問題ないでしょう。

埼玉では新入社員が筆おろしに行く大宮にある劇場に、取材協力したチェッカーズ御一行が上映中の鉄騎兵を観にいったところ、サトケンが入籍前の水沢アキ似の彼女と同じ劇場にいるところを発見したというエピソードを聞きました。  

 

 

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実際に開催されていた東京ダイナミックシリーズというレースシーンの設定で本物のプロライダーのパドックも写されています。

若き日の鈴木秀明選手と唐沢栄三郎選手。

私が初めてライディングを教わったA級ライダーは唐沢さんでした。今でもその教えは忘れていません。

貞二が所属している埼玉ラングラーズですが、推測ですけど

私が会社就職して初めて買ったマシンが83CR250だったのですが、そのお店が東京のモトバムでそこのチームスポンサーがラングラーというジーンズのメーカーだったことと、モトバムの代表池沢さんがモーターレク推進本部の出身でしたから映画製作に関って埼玉ラングラーズと命名したのでしょう。ホンダはスポンサーでないようですのでモトクロス界に顔の効く人が身内だけで好きな映画を作ったということでしょう。

映画のラストシーンはヨコハマ杯鈴鹿サーキット大会で貞二が優勝できなかったらモトクロスを辞めるという設定でしたが、惜しくも最終コーナーでライバル根元にかわされて2位でした。

私は是非、現代判「鉄器兵、跳んだ」を制作してもらいたいと思いました。石田純一と熊谷美由紀が子供を作り、モトクロスでA級ライダーを目指す物語を・・・

 

昨年末にピストン交換とヘッドメンテナンスしたので、新しいうちにパワーチェックしてみました。

CRF150Rの主要諸元によりますと最高出力24.5ps/12500rpm、最大トルク1.47/10000rpm

ということですがカタログ数値はカウンター出力(エンジン動力計による測定)である場合が多く後輪出力よりも数値が高く表示されているはずです。しかも上記の数値は2006年当時の96dB仕様のマフラーで現行の94dB仕様とは異なるデータに違いありません。実際のパワーは駆動系のパワーロスを含みますので実測の数値を知っておくことがチューニングの指針になることは明らかでしょう。

測定は我社から徒歩2分という近さのmotoGLADさんに依頼しました。マシンを押して行けるほどの距離にあります。

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motoGLAD店舗風景

日光街道杉並木(R407)沿い

我社から国道を隔てた向かい側に位置しておりオンロード系の販売、整備

レーサーの製作などが主な仕事です。

 

 

 

 

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ダイノジェット測定室です。

マフラーに差し込まれているのはA/Fセンサーで回転数毎の空燃比も同時に測ります。

CRFはダイレクトイグニションのため回転数のパルスをコイルから検出できません。コイルにつながるハーネスを調べてCDIユニットのカプラー付近から検出できました。

 

 

 

 

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測定は2タイプで行いました。

昨年使ったモディファイ品とSTD品をそれぞれ付け替えてみました。

普段走行に使用している状態と完全ノーマル仕様の出力カーブとA/Fを把握することが今回の目的です。

エンジン温度の変化によっても数値が変動するということで、熱ダレしてくると数値が下がってしまうということもあり、1時間くらいの冷却時間を空けて別々に測定しました。

 

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モニターの画像は左がスピードメーター、

右がタコメーター、下の横長のグラフが

Air、Fuel Ratio(空燃比)を表しています。

運転状態をリアルタイムで確認できます。

測定データーはパソコンに保存されプリントアウトできますので次に説明します。

 

 

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完全ノーマル仕様のグラフ

MAX POWER=20.3PS

9500rpm付近がピークで緩やかに下がっていきます。レブリミットは13500rpm

MAX TORQUE=1.3kgm/ 12500rpm

上の曲線は馬力のデータ、下の曲線はトルクのデータを表しています。

その下はAFレシオ(空燃比)データを表しています。

 

 

20年経過した車種なので、新規にサイレンサーのラインナップに追加することを渋っておりました。

モトショップ鷹様の熱烈なオファーによりラインナップすることになりました。                             

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上がノーマル、下が今回ラインナップに加えたアルミサイレンサー。

重量はノーマルの2kgに対して、僅か630gという軽量で、重心から遠い車体後部の軽量化に貢献するでしょう。

ノーマルは非分解で生ガスが溜まったら抜けるようにブリザーパイプがついていますが

アルミサイレンサーはリベットをはずして、湿ったグラスウールを交換できるようになっています。価格は特価¥12000也

ですが、現在バックオーダーで2ヶ月分業務が溜まっておりますので3月以降でないと作れませんのでご了承ください。

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ラインナップするためには、ノーマルのサイレンサーが取り付くように治具製作しなければなりません。

この治具で位置決めしながら製作しますが

最初は車体に合わせて確認しておかないと

取り付け保証はできませんので、マフラー現品送付でワンオフ製作を希望される場合もありますが、治具製作も含めて了承していただく必要があります。

 

 

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鷹さんの車両ですが、取り付け確認できると安心できます。

チャンバーとセットでこの様な感じで出来ました。

2スト、旧車のマフラーも続々出てくるでしょう。

現行車は高性能ですが非常に高価格で不景気な今の経済状況だと一部の富裕層しか購入できません。それほどお金かけなくても、いじって楽しめる旧車が時代のニーズに合っているのでしょう。

 

 

YZ販売台数日本一のモトショップ鷹の店長マシン。

3XPの初期型ですが、あまり乗ってません。美車です

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チャンバーはラインナップ品です。サイレンサーも車体をお預かりしていたのでワンオフ製作しました。

お問い合わせはモトショップ鷹まで!(売ってくれるとは聞いてませんけど)

MTBプロライダー、日本人として始めて海外メーカーと契約し世界選手権を走った世界ランカー。

アジア選手権2連覇、JCFシリーズチャンピオンなど輝かしい戦績をもつダウンヒルライダー

井出川直樹選手はホンダレーシングとも契約してRN01で戦ったこともある。

現在、彼は京都のダイアテックと契約し、カナダのEVIL(イービル)というメーカーの自転車に乗っている。

しかし、このEVILは国内に1台しか輸入されておらず、

即ち井出川選手専用のプロトタイプでスペアマシンもない。

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これが、EVIL社スイングアーム、部品単価は聞いてないが、メインフレームだけで40万円くらいだそうだ。

これをハンドワークで1品だけ製作頼まれても、この前のスイングアームより3倍くらい手間が掛かりそうだ。大体、切削部品をこのクオリティで仕上げるにはNC(数値制御)マシンに頼るしかないわけだが、NC加工の工賃は段取り1回の金額なので1個加工するのと50個加工するのとあまり変わらないので、1個だけ加工すると莫大な金額になってしまうので普通はやらない仕事だ。

幸いこれは2箇所のヘアクラックを補修するだけなので問題はない。

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クラック2箇所、塗装を剥離してからTIG溶接することになる。

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亀裂を溶接だけでは再び発生してしまうだろう。

再発防止のために補強パッチを追加しておく、これで寿命は格段に向上するはずだ。

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こちらはビード肉盛りで様子をみる。

このスイングアームは左右非対称な接合方法で、こちら側だけ突き合わせになっていることが

強度不足の原因とおもわれる。

高負荷の足回り部品を溶接する場合、荷重の方向に対してなるべく長手方向に接合することが

セオリーなのであるが、突き合わせが最も不利な条件なのである。

いずれにしても日本屈指のダウンヒルレーサーが溶接修理を頼ってきてくださったことに感謝いたしまする。

連日猛暑日であろうと、世間はお盆休みであろうと、私には関係ない。

大勢のお客さんが私の作るマフラーを待っていることも充分承知しているが

どうしてもやらねばならないことがある。

それは、このようなものを作ることを約束してしまったからだ。 IMG_0704.JPG

これをつけて走るとどの様な喜びがあるのかは私は知らない。

これは私が考えて作ったものではないが、作った人に再び頼めない理由は

製作者がやめてしまったためであり、既に廃盤の商品になっているからだ。

それなのに、この見本だけで製作に必要な加工寸法を割り出し、材料を選定し、切削工具も購入し

取り掛かっている。

おそらく全工程に費やす時間は100時間を越えるだろう。

時間工賃を1000円で計算しても10万円になるが材料代や工具代は別に実費で払わなければならない。

おそらくこれを希望するお客さんは、そのような計算は一切、頭の中にはないだろう。

もちろん、掛かった全額をお客さんに請求するつもりは毛頭ない。

最初から利益にならない仕事だということを私は分っていたからだ。

それでは何故、儲からない仕事を引き受けたかというと

やってもいないことを、大変だということが嫌いだからだ。

自分がやって経験したことだけが、語っていいことだと思っているからだ。

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アルミの塊からマニュアルのフライス盤で削り出す。この加工時間を加工しないで算出できる人がどれだけいるだろうか。これはピボット部分のパーツ

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土曜日夕方までかかってここまで出来た。

クッションブラケットとリヤアクスルのパーツ。図面が無いので寸法計測しながら加工していくので

非常に時間がかかる。明日のレースの整備があるので、これにて中断。

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本日はアーム製作。

手前がアームの型で、上の4つが絞って出来たアームの部材。

作り方は教えてもよいが、割愛しておく。

よく、作り方を自分で考えないで他人に聞く人がいるが、

調べたり、トライする努力なしに安易に情報を得ようとする行為なので適当に答える。

自分で考えて物事を運ばない人は、新しい物を考案する能力は得られないと考えられるのだ。

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アームを溶接で接合してから、スイングアームの形状に合わせて曲げてある。

組み立て治具に各パーツを固定し、仮留めする。いよいよ本溶接ができる状態だ。

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溶接完了し、バフ研磨して組み付け確認。

100時間を超える全工程が終了した。オリジナルに引けをとらない仕上がりではないか。

こうして絶版のスイングアームは復刻された。溜まっているバックオーダーが恐ろしい。

スズキRMの前のモデルはTMという名称でした。昭和38年生まれの私でさえ乗ったことがありません。

エンジンや車体はほぼハスラー250ではないかと思います。ハスラー90は持ってましたけど、何処へやってしまったかさえ覚えていない遠い昔のことになってしまいました。

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さて今回の製作依頼はTM250のチャンバーです。下に置かれた純正品が老朽化のため新作することになりました。

当時のレーサーはサイレンサーもありませんが、テールパイプにスプリングフックは付いているので

オプションでサイレンサーを装着できたのでしょう。

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潰れたノーマルチャンバーを元に採寸して製作したニューチャンバー。

 

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口元フランジも絶版ということで、新作し、ニューチャンバーとセットになります。

採寸した諸元はこのようにガバリを作成して鉄板に罫書いて製作します。

IMG_0695.JPGそして、オプションのサイレンサーも取り付けました。

 

レストア中のこのマシン、クランクケースもOH中なので内部が確認できますが

これはプライマリーキックではないことが分ります。

最近のオートバイは全てプライマリーが当たり前になっていて、ギヤが入っていてもクラッチを切ってエンジン始動ができる構造になっています。

それはキックギヤとクラッチアウターのギヤの間にプライマリーギヤが存在してメインシャフトの連結をクラッチで解除しながらクランクギヤを回せることで、ギヤが入っていても始動できるわけです。

しかしTMにはプライマリーギヤの軸穴が存在しないことが右ケースを見れば分ります。

キックギヤとカウンターシャフトのギヤが直結の構造です。

即ち、ギヤをニュートラルにしてからキック始動できたということです。

ギヤが入っていれば押しがけはできますから、ロードレースでも押しがけスタートが主流でした。

モトクロスでは、今のようなスターティングマシンは無く、エンジンを止めた状態でオフィシャルの日章旗を振る合図でキックスタートでレースしていました。

当然、右足でキックして、左足でギヤを入れてスタートするわけですから、予めギヤをいれてキックできるプライマリー車の方がスタートが優位だったわけです。

古いマシンを乗っている人を見て、「新型のマシンの方がいいよね」という人がいますが

これは古い名作映画を観たり、懐かしい歌謡曲を聴いたりするのと似ていると思うのです。

新型が性能がいいのは当たり前、いつまでも自分の青春時代のマシンを楽しんでいたいという欲求があることを非常に理解できます。

このダウンチャンバーのリバイバルは口元フランジとサイレンサーも新作で3台分同時に、しかも前金で依頼されていますので、他の仕掛かり業務も含めて8月中に急な依頼がありましてもお引き受けできませんのでご了承ください。

泣く子もだまる(そんなわけない)国際B級(掃いて捨てるほどいる)時代の私。 IMG_0681.JPG

マシンは我社(前の勤め先)で製造したCR250R、88モデル

コースは成田エアポートMXランド。

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ジュニア時代、87年全日本MX第1戦桶川大会の予選1組。

マディーの予選を制したのは私。最も勢いのあった頃だった。

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スタートを正面から見た様子。既に1コーナーへ向けて最短コースへ加速している。

マディでトラクションさせる能力に秀でていたに違いない。

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ジュニア125クラス決勝は残念ながら転倒で16位に終わってしまったが

MXキャリアの中で最も充実していた時期なので忘れることはできない。

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狭山レーシングのエース、井本敬介選手。87年は国際A級2年目

この年の前期は全員125ccでのレースだった。

朝霞研究所、第2研究ブロック操安グループに席を置き後にCRFシリーズの開発責任者になられた。

奥にチームグリーンの岡部篤史、長沼朝之、隣に無限の鶴田忍の姿が見える。

市販CRでワークスライダーに引けをとらない堂々とした走りだった。

井本氏の指導がなければ私の国際B昇格も無かったかもしれない。

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84年関東選手権、予選10組時代。あの頃はとにかく必死だった。

予選を通過しないことには決勝は走れぬ。

あの頃の経験があったからこそ、今の自分がある。モトクロス最高!

依頼されてくる車種は大半がオンロードモデルで今回もその一つ。

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フランスヤマハ製で新車で2ストローク車を生産していますが

法律で出力規制が掛かっているとやらで

もう少しパワーアップを希望しているのがお客さんの願いです。

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ノーマルのチャンバーからは正確なチャンバー諸元が分りません。

そこで過去の同一排気量のデータから適当なものを選んで

形状を車体に合わせて新作しています。

微妙な変更はテストを重ねないと無理ですが、ノーマルより強力な物にするには

レーサーの諸元を引用することで可能となります。

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サイレンサーについても、デチューンの対象ですから排気の抵抗を下げつつ消音効果のある物に作り変えます。

オールアルミでバフ仕上げは2ストモトクロッサーで性能実証済みのアイテムであります。

完成後、チョット公道で試乗してみましたが、美味しい2ストのパワーとサウンドで早くオーナーさんに乗っていただきたいと思いました。

IMG_0677.JPG今回の依頼にはオプションがありまして、coocaseというボックスつきリヤキャリアの取り付けです。

ボックスはワンタッチで脱着できてツーリングに買い物に役立ちそうです。

但し、この車両にはボックスを装着できるキャリアが装備されていないので新作する必要があったのです。

IMG_0679.JPGこれはボックスをはずした様子。

グラブレールのねじ穴を利用してボルトオンにしてあります。完璧な立て付けです。(自画自賛)

 

2010モデルYZ250F用のエキパイをラインナップに加えました。 IMG_0663.JPGチタニウム製のエキパイとサイレンサーを50mmショートにしてオリジナルリヤパイプに換装しました

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エキパイはノーマルと等長ですがレゾネーター付、実用回転域のコントロール性向上と音量の低減が目的です。

サイレンサーはノーマルで音量に余裕があるのでショート化して排気抵抗を減らす目的です。

チタニウム製のオリジナルリヤパイプは騒音と排圧の調整をしたもので

音量は5000rpmで92dB/AでありますのでMFJのレースでも使用可能です。

気になる価格は、

エキパイ ¥21000(税込み)

リヤパイプ (ノーマルサイレンサー組み換え工賃込み)¥15750(税込み)

現代の2輪車は大型車から原付自転車まで燃料噴射を標準装備する時代。

4輪車は30年ほど前からキャブレターから燃料噴射へ移行していたのに2輪が遅れていた理由が解ったような気がする。

最大の理由は排出ガス規制に対応することにあった。

2輪の場合は規制が強化されたのが最近であることと、4輪のような高性能な燃料噴射装置を採用する車体のスペースと販売価格の低さが、開発の遅れとなって表れたのだろう。

地球温暖化の対策や低公害、省エネのために自動車会社の出した答えはハイブリッド車に並んで

高性能な燃料噴射装置の開発であった。

コモンレール式燃料噴射とピエゾ素子インジェクターが現代最高の環境対応技術といえるだろう。

ピエゾ素子は圧電素子の一種で、応力を加えると電流が起きる物質の総称で

温度、加速度、超音波など各種センサーに使われたり、身近なところにはエプソン、リコー、ブラザー社のインクジェットプリンターはピエゾ素子を使ってインクを噴射している。

写真のような精巧な噴射制御が出来ることからも、燃料の噴射制御も正確に行えることが想像できる。

原始的な燃料噴射は機械式の燃料ポンプで燃圧を上げて、バネで閉じられた弁を圧力で開けて噴射する方式。当然、正確な噴射はできなかった。

燃料の排ガスに与える影響は濃い過ぎるとPM(黒煙)が出たり、燃焼温度が上がってNOxが増加する。薄すぎると出力が出ない、不完全燃焼でCOやHCが増えるといったところ。

コモンレール式燃料噴射は蓄圧式とも呼ばれ、燃料ポンプが単なる燃料の供給ではなく、最新式では2000気圧という超高圧で燃料を加圧して、インジェクターに供給する。

酸素やアルゴンなど高圧ボンベが150気圧なので、その10倍以上だ。

何故そのような高圧が必要かというと、圧縮された燃焼室に微細な粒子として燃料を噴射させるためである。粒子が微細なほど燃焼という化学反応が迅速かつ確実に行われ、出力の向上と排ガスの清浄化に役立つのだ。

それからピエゾ式インジェクター、これは従来のソレノイド(電磁式)バルブに比べ、応答が速いのが特徴で

最新のソレノイドでも1回の燃焼に1から3回の噴射に対してピエゾ式は最高で7回の噴射が可能だという。

噴射間隔でいうとソレノイド式が900分の1マイクロ秒、ピエゾ式が1万分の1マイクロ秒である。

この1燃焼に対して多段噴射が必要な理由は、燃焼を段階的に発生させることで、完全燃焼と燃焼温度を低減させることだ。

そのために、コモンレール式燃料噴射とピエゾタイプインジェクターが不可欠ということだ。

残念ながら製造コストが非常に高価で、おそらくシステム全体で自動二輪車1台分くらい必要だろう。

それ故、2輪車にこれが採用されることは現実的ではない。

最初にコモンレール式燃料噴射を量産したメーカーは1995年、デンソーである。

主にトラックの直噴用で車両価格が1千万円クラスなので採用できただろう。

それに対して高級乗用車をターゲットにコモンレール式を量産したのがボッシュだ。

BMWやメルセデスベンツなので高額なシステムでも全体の割合からすると大したことはない。

遅れをとって後にトヨタレクサスにもデンソーのシステムが採用された。

我々の興味があるのはオフロードレーサーの燃料噴射システムだが

認定モデルではないため、排ガス規制の対照ではない。

したがって、高額な投資をして燃料噴射を開発する必要がない、キャブレターでも充分な性能が出せるなど、4輪のような高性能な噴射装置は装備しないだろうと考える。

4輪のような燃焼室直噴も聞いたことがないし、吸気通路に空気と混ぜてポートから吸入する

ウォールガイド式(空気流動で成層化)が主流だろう。

これが進化すると、ストイキ直噴(理論混合比で成層化)、スプレーガイド式直噴(高圧で噴霧で成層化)ということになり、吸気管内方式と比較して15%も燃費低減できるという。

こういうわけで、全ての認定車が燃料噴射に移行してきたように、車両価格の高いレーサーから燃料噴射化が進んでいくのが時代の流れなのだろう。

いずれ小排気量車も製造コストの問題が解決次第、移行することになるだろう。

松山オートテックは愛媛県松山市の山中にあるMXコースで、県民の水瓶「石手川ダム」をさらに山奥へ進むと、瀬戸内海が広がる絶景の山の尾根の部分を切り崩したMX場が現れる。

ゴルフ場も隣接しているのでコースまでの道路は完全舗装された環境のよさ。当時のMXファンなら五明(ごみょう)という地名で知られている、そのコースは通称パチ台と呼ばれていて

コースの一番低い位置にスタートとフィニッシュジャンプがあり、高低差100mくらいの斜面を一気に上ってからパチンコ台のようにクネクネとバンクのついたタイトコーナーを曲がりながら下ってくるので

下からコースの状態が80%くらい見えるので観戦しやすいコースだった。

松の木の山林に黄色い山砂のコースは日本のMXコースの中でも一番美しかっただろう。

そしてカワサキ ダートクルニクルスの記事を読んでいて懐かしく思った。

チームグリーンの平井監督の話だったが、最初に育てたA級ライダーは中深迫正と菅原義広。

その前にチームグリーンとして成功したのがスーパーノービス調所伸一と鈴木南平だったことを

平井監督が語っている。

そして、その舞台が全日本四国大会の松山オートテック、83年のレースだった。

コースの一番高いストレートが終わった左コーナーの向こうは青い瀬戸内海が見えるはずだが

ライダーにはそんな景色は目に入らない、バンクのコーナーを立ち上がったら、菅生の大坂より長い下りジャンプが待っているからだ。

そのジャンプを最初に飛び出してきたのが、調所伸一と鈴木南平のカワサキだったわけだ。

私も鮮明に覚えている。現地には行っていないがライディングスポーツ誌の見開き2ページを飾った写真が、その場面だったからだ。

調所選手の逸話は、桶川のレースで優勝したあと、「フロントフォークがいつもと違う」と言ったので

フロントフォークをばらしたら、片方のフォークにオイルが入ってなかったという話。

片方のオイルがなくても勝てるくらい速かったということだ。

鈴木選手はバイクランドジャパンの御子息、木更津サーキット(イーストバレー)や飯倉スポーツランドも経営していた、あの鈴木さんである。

2人は早くMXに見切りをつけて別の道に進んだと聞いたが、ワークスライダー養成チームとしてのチームグリーンの活躍の原点は彼らだったに違いない。

ハンチング帽にサングラス姿の平井監督は全日本MXの名物となっていた。そんな平井監督と私は一言だけ会話したことがある。

86年の国際B級ゼッケン2はクレイジー安藤さんだ。

安藤さんは石神覚さんのポイントワンに所属していたころから狭山レーシングと縁があり、

カワサキに乗り換えてジュニアライダースに所属してからも、狭山のトラックで全日本遠征していた。

菅生の全日本のときB級の予選でサインエリアにいたとき、平井監督が私に「安藤は予選通過したかー」と尋ねられた。「ハイ、通過しました!」 たったこれだけだが忘れられない。

国際Aは私にとって神様だ、そして監督は神様を育てている創造神なのだ。

安藤さんは前年、カワサキに乗り換えて鈴鹿で4位に入った。申請すればA級昇格できたのだが

「申請A級はインチキだ」と言って翌年、優勝するつもりでいたのに成績不振で折れてしまったのだ。

平井監督はカワサキに乗って速かった安藤さんにも期待をかけていたのだろう。

話は逸れてしまったが

松山オートテックは85年、先輩の井本さんがB級ゼッケン9の年に全日本四国大会として最後のレースを開催した。

その日のマーシャルは四国のトップライダー三原達夫。

国際Bの公式練習は三原選手と井本選手の一騎打ちだった。

四国選手権のトップライダーの松山でのスピードを見せ付けたいという思いと

一桁ゼッケンが田舎B級に負けてはいけないというプライドが、走りに表れていた。

そして、三原選手の御子息は後にチームグリーンへ入るほど成長し、親の意思を継いだと思われる。

その選手の名前は三原拓也、四国で8番目の国際A級ライダーとなった。

 

A級250でヒート優勝したのがMX界1のイケメン立脇三樹夫選手だったのが印象的だった。

その後はゴルフ場建設予定地になってしまい閉鎖したと聞いている。

【サイドビュー】

新車のマシンを走らせる前に、先ず自分好みの仕様にコーディネートする。

コンセプトは、買ってきたものは(メーカー純正品以外は)極力使わない。自分で手間をかけた部分だけがオリジナルなのだ。
新品のホイールをばらして、リムはアルマイトにハブは塗装で足回りを引き締めて魅せる。
エンジンも下ろしてフレームやリヤサスも塗装する。
やはり、うちのレーサーは黒が純正のカラーだろう。
しかし、プラスチックパーツは本職のデザイナーが作った純正のままがいい。
実は黒と赤の色のコーディネートが最強の色相なのだ。
余計な飾りも不要、ノンスポンサーを強調することが、オリジナルの意気込みを表現する。
要するに、人にやってもらったことに対してあまり価値観を見出していなくて 自分で手間をかけた部分にマシンいじりのロマンを感じているわけだ。

【サイドカバーはずし】

ノーマルと明らかに違うスタイルはエキゾースト。
チタンニウムのエキパイは去年から使用している物でエンジン特性が気に入っているので再使用した。
焼け色が変わっていくのも楽しみの一つ。
全体が焼けたら、サンドペーパーで磨いて何度でも新しい焼け色を楽しめる。
一見ノーマル風のサイレンサーは中身とエンドパイプがオリジナルのものに取り換えてある。
シングルのエキゾーストをデュアルに作り変える試みだが、排気音とパワーの出方を変更する目的だ。
アルミのブレーキとチェンジペダルは他機種の純正部品で流用しただけ。
フロントエンジンハンガーはノーマルの高張力鋼板から超ジュラルミンの削り出しに取り換えてある。

【リアフォーク・スプロケット】

150R最大の欠点であるリヤフォークの強度不足を対策した補強リヤフォーク。

7Nー01材で曲げ応力が最大になる箇所の断面積を30%増して対応している。
町工場はメーカー任せにする必要はないのだ。
一見スペシャルのスプロケットはノーマルベースで112個の穴空けをして軽量化した。
ノーマルはなんと、820gも重量があるのだが、570gまで落とした。
しかし、タロンのアルミは270gしかないので2倍の重量だ。(残念)
但し、耐久性は3倍くらい期待できるので、コストパフォーマンスで断然勝っているはずだ。

【デュアルマフラー】

テスト中の新型構造はマフラー内部で二股に分岐させ、2本のパンチングパイプを通って排気され る。
ノーマルの開口面積と同等の2つ穴にした場合、約1dB排気音が上がることが分かった。
排気を2列にすることで排気ガスの流速があがるためと思われる。
これがパワー的に有利だということを示しているのだが、あとは、パイプ径の調整をすれば音量のコントロールも可能だ。

とにかく、いつも同じマシンに乗っていたのでは、ライディングそのものの情熱が冷めていってしまうので 常に新しい試みと、ベストコンディションを保つメンテナンスを怠らないことがモトクロスを長く楽しむ秘訣ではないかと思う。

2スト車の車体に4ストエンジンのスワッピング(換装)は何度もやってきた。 しかし今回のスワッピングは今までのとはわけが違う。

これまでのエンジンは旧式の空冷2バルブであったのに対し、これは新型の水冷4バルブだ。 おそらく日本で初めての組み合わせだろう。前後サスペンションはホワイトパワー。リヤはリンクレス。 ブレーキはフォーミュラの対向ピストン。国産には採用されないヨーロッパ製品が目を引く。 画像はエンジンのレイアウトを検討している様子でエンジン位置は決定したがフレームのパイプは繋がっていない。高くなったキャブレターにあわせたエアクリーナーの変更、シリンダーヘッドをかわしたガソリンタンク製作、フレーム中通しの専用エキゾーストパイプetc.難題山積みである。 おそらく実走できるのは夏頃だろう。

 この製作計画を聞いて殆どの人は無意味だとか、改造しないでそのまま乗るのが一番いいとか思われるだろう。 実は製作を担当している自分自身も同様に思っていたのだが、製作を諦めさせる説得をしながら、自分の気持ちが完成させて走らせてみたい方向に変化していった。

これを無意味なことと思う人は、マシン選びにどれ程の理由があるだろう。 メーカーのイメージであったりレースで上位を走る機種であったり、バイク店との付き合いであったり。いずれにしても明確な根拠は存在しないはずである。しかも、高額な支払いをして手に入れたマシーンも翌年にはあっさりモデルチェンジされて旧式になってしまう。本当に乗りたいものを決める手段が完全にメーカー任せになっていて、お客さんは踊らされている状態だ。そんな宛がわれたような選択肢では、ただ流行にながされて、他人の真似しかしない日本人の一員になってしまう。

他人と違う方式を試みる精神がこの車両の製作に現れているではないか。 これが完成して走っている姿をみて、どんな乗り味なのか興味を持つ人は多いだろう。しかしその答えは作った者、乗った者にしかわからない領域だ。

 無意味だと思う人には一生わからない答えだろう。 そしてこの製作を実現する手段に弊社を選んだ依頼者に満足していただくために腕を振るわなければならない。

チャンバーは溶接が主な作業と思われがちだが、実はこのような部材の成形に製作時間の大半を費やす。紙の上に設計されたパイプはテーパー状で、複雑に曲がっているため、形状を思い通りに仕上げることに長年の経験が必要となる。写真のパーツは一台分でつないだ全長は1メートルほどになる。ここまでできれば8割完成したも同然。 溶接でつないだパイプの完成品。成形された寸法精度が上手くできていれば溶接は容易にできるが、誤差が多いとつなぎ目に段差が出来たり、カーブが狂ってきて不良になる。パイプの成形が完成品の良否を決定する。この後、治具に装着し、テールパイプやマウントステーを取りつけて完成するが、全工程で15時間費やすのに、溶接は2時間くらいの作業だろう。コンピューター制御の工作機械全盛の世の中だが、チャンバー製作は自動化が不可能な手工業の世界でしか実現しないのだ。
アルミタンクはワークスモトクロッサーだけの物ではない。70年代後半までは量産車がアルミタンクだったのに、大物は金型でプレス成形されるが、溶接などハンドワークの部分に熟練が必要なため、生産性のよいプラスチックタンクへと変更されていったのだ。 昨今のビンテージオフロードの盛り上がりで70年代後期のレーサーもレストアされレースに参加する台数も増えてきた。ところが30年も前のプラスチックはどうしても劣化が進み、軽い衝撃でも割れてしまって、ガソリンが漏れてしまうのだ。接着材で補修しても耐ガソリン性のものはなくて使い物にならない。塗装しても揮発するガスで塗膜が剥がれてしまう。 そんな悩みを解決するためにアルミタンクを製作することにした。タンク専門の会社に依頼すると、量産とそっくりな形状の品物ができるが、必要なモデル代、金型代、を負担した上に製作費がかかるので、すくなくとも35万円は かかるらしいが、お客さんの依頼は1個だけなのでそのような金額では諦めてしまうだろう。今回はプレス成形を行なわない方法、アルミ板から叩き出す板金手法で作ったタンクだ。 全体のデザインを決めるアッパーハーフをハンマーで叩きながらカーブをつけていく。見本と見比べながら感を頼りに曲げていくのだ。一枚板では不可能なので、要所要所分割して成形して溶接で組みたてていく。フレームに組みつけるロアーハーフも車体に取り付け確認をしながら成形していく。アッパーとロアーを接合する前に形状を整えないと、後からでは叩けないのだ。溶接が全て終了したら、水を満タンに入れて洩れがないか確認する。エアーを入れて水没させる方法もあるが、加圧してタンクが膨らんでしまうことがあるので、水を入れた方が安心なのだ。これでプロの塗装を施せば、アルミ製の複製タンクであることはよく観察しないと気がつかないだろう。 アルミタンクはけしてワークスチームだけのものではない、むしろ庶民的な旧車マニアのためにあるのだ。