■ ヴィンテージMX

モータースポーツ史上、貴重な1台のマシン。
ヤマハが作った初期の市販モトクロッサー。RZもYZRも存在しない時代
ロードレースやモトクロスといったカテゴリーが明確でなかった浅間火山レース以降
本格的な市販モトクロッサーを製造、販売するという命題に答えた最初のモデルではなかっただろうか。
その時代に小学生だった自分、70年の大阪万博を見に行ったころ全日本モトクロスで活躍、
後にSP忠男というブランドを立ち上げた全日本チャンピオン鈴木忠男氏が乗った実車MX125を
80年代の国際B級時代に城北ライダース所属でヤマハ東京支店契約だった吉友選手が保存されていて
レストレーション中なのですが、朽ち果てた状態のチャンバーを復刻させていただきました。

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チャンバースペックも不明なので
実車に装着されていた
当時物チャンバーから採寸、
パイプの成形を行いました。

一応、外径や長さといった数値を再現してありますので本物と大差ない物に出来ているでしょう。







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お借りした月刊モーターサイクリスト
70年の記事に当時の写真と解説が載っています。

自分には記憶も知識もありませんから
この記事からお預かりした車体が
本物であることが推察されます。
忠さんが乗ったチャンピオンマシンは
世界にこれしかない貴重なものです。






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エキスパートジュニア時代の瀬尾勝彦選手
後にホンダのワークスライダーになるのですが、こんな写真も初めてみました。

現代のミニモトにも劣る車体とサスペンションだったと思いますが
見事なフォームでライディングされているようすが分かります。






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さて記念すべきMX125チャンバー初めて作りました。
本物そっくりかどうかは
当時携わった人しかわからないでしょう。
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ダウンチャンバーは絶対確認しなければならない、キックアームの踏み下ろしです。

非常にタイトなレイアウトで内側はタイヤ、外側はキックアームとどちらかに数ミリずれても擦ってしまう難しさです。








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実はもう1台あって
シリンダーとフレームが違う公道バージョンのAT-1も同時にチャンバー製作を頼まれました。

同スペックですが城北ライダースさんから支給いただいたサイレンサー付きがAT-1用になります。
MX125とは口元とマウントステーの形状が違います。





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吉友選手が乗るためにレストレーションされていると思いますが
NEWチャンバー完成しました。
ビンテージMXレース出場されるのでしょう。
オールペンされていて全体的に未使用に見えます。









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こちらもキックアームの踏み下ろしを忘れずに、
問題ありませんね。
ワンオフですがチャンバー2台分製作完了です。
もちろん一発OKではなくて3台分くらいやり直ししていますが、完成品に苦労の跡は見えないと思います。
納品した後にがっかりされないようにしたいものです。

1979年型CR250Rビンテージモデルのリプレイス用パーツです。
毎度ホーリーエクイップ様からのご注文のロット生産で100台以上生産したはずですが
難易度が高く安定した品質でお届けすることが難しい現状です。
今回製造上の問題で一部変更されたチャンバーと、分解を簡略化できるサイレンサーを新たに
製造することにしました。

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支給いただいた治具に合わせて
エキゾースト取り付け完了しました。
変更点は水圧膨らまし製法のパイプですが
φ100の90°曲げの成形時に
結構な確率で鉄板が破裂してしまい
歩留まりが悪い状態が続いていましたので
破裂しない方式で、巻いたリングを繋いで作るようにしました。
失敗する度に5時間くらいのロスが出ておりましたので
10回失敗すると50時間タダ働きということになりますのでやむを得ず作り方変更です。
(老眼のためなるべく溶接時間を減らしたい)

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段取り回数を少なくできるので
同じ物を連続して作った方が効率がよくなります。

また過去に作った実績があっても
半年以上期間が空いてしまうと
作り方を忘れてしまうのです。
何故なら、毎回治具に合わせて微調整する部分が多いのですが、それらのコツは数値化されてない勘と手作業によるものだからです。
何処を切って何処を繋ぐと車体
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にピッタリ
合わさるか、最初は分からないですよ。



今回ホーリーエクイップ様のリクエストで
アルミサイレンサーになっていますが
前側はノーマル風にスチールとの組み合わせになっております。

治具も支給いただいたものなので
取り付け位置が同等に作りやすいです。








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ノーマルサイレンサーは切断しないと
グラスウールのリパックが出来ませんでしたが
今回はスナップリング止めのサイレンサーエンドになっておりますので
スナップリングプライヤーで簡単に外せる構造です。

エンドのシールは内径φ48、線径3.5mm
のOリング
スナップリングは外径φ55、厚さ2mm
モノタロウでReliableです。


ヤマハの市販モトクロッサーYZ250の初期型は1年限りのツインショック、74年からモノクロスサスに変更されるので希少なモデルです。
73年の僕は小学6年生でオートバイとは全く無縁の生活でしたのでオートバイという乗り物を百科図鑑でしか見たことがありませんでした。
最初に興味を持ったのは中学2年のころ、家で取っていた朝日新聞の広告欄で「月刊オートバイ」を見つけましたが本屋も無い田舎に住んでいたので、西条高校に通学していた兄に小遣い渡して町の本屋でオートバイ誌を買ってきてもらいました。最初に読んだ記事はエグリ・フレームの特集だったのを覚えています。
実際にオートバイに触れるのは高専に入学してから(1年生のころ中古のCB250Tが最初に買ったオートバイ)なので、73年ころの市販モトクロッサーと言われてもスペックは全くわかりません。
何故か70年代のモトクロッサーに詳しい人が、何も知らない僕にマフラー作りを頼むのですから
無い知恵を絞って製作に着手するのです。

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しかも5台分、同じ形状のマフラーステーが
1台当たり3個使うので
15個作る必要があります。











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ヤマハが手配したメーカーなら
金型を作って、10秒で1個作れるような形状ですが
低レベルな板金技術で15個8時間もかけて作っています。









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これを先に作っておかないと
テールパイプやサイレンサーの位置決めが
決まらないことになりますので
マフラー本体フィッティング時に使います。










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エキパイ口元ですが
製作前に準備しておくものがあります。

排気口に嵌める寸法は現品から寸法測定して図面描きますが
同時に純正のOリングも寸法測定に必要です。







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ところが、支給いただいた当時物の新品が
ゴム硬化して組めません。
プラスチックのように硬くてリング溝に入らないのです。

50年経過したゴムですからね、新品を保存しても意味が無かったのですね。
既に純正廃番なので
供給可能な別機種の0リングを取り寄せ
代用することにしました。
問題はリング外径が違うので溝加工はやり直しということになります。



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スペック、形状は支給いただいた当時物のパイプを基に贋作作りました。

マウントステーの位置やスプリングフックの形状など純正品に倣って可能なかぎり再現してあります。

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シリンダーヘッドとタンクの間を通るパイプは
オーバル断面になりますので
成形の難易度が丸パイプよりは上ですね。

どんな性能であるかは知る由もありません。
たまたま、この車体を見た元ヤマハの契約ライダーだった人が仰ったことは「これ、速かったんだよねー」
キットパーツ時代から市販レーサーへ切り替わったころですから、その衝撃が忘れられないんでしょうね。


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マフラーの取り付けは、純正のラバーマウント使うのですが
純正新品でストックされているわけは
アメリカのコレクターから倉庫ごと在庫品を買い取ったらしいので
ケチな収集家でないことが伺えます。

なんだか自分が知らない時代のマシンの一部だけですが、ここで得られた経験が貴重な感じがします。

お引き取りは長距離運搬になりますが
費用は依頼者様ご負担ということで
お願いしてあります。

国内では珍しいML3(CR500R)のフレームを改修します。
レストアラーのDFさんからの依頼ですがヤフオクで中古フレーム落札したら想像以上に酷かったので
このまま塗装して組み上げるわけにはいかなかったでしょう。

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サイドビューからフレームの状態を図り知ることは無理でしょう。

最も醜い状態のテンションブラケットを削除して新造して取り付けることにするので
取り付けレイアウトを同一にするためフレーム治具製作しました。

これでテンションブラケットのボルトを外しても3点のエンジンマウントで取り付け位置は決定できます。



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テンションブラケット取り付け部分
何故このような溶接になったか疑問ですが
DFさんは、とにかくここを綺麗に直してくれと言うので、
これはもう取り外してやり直した方が簡単だろうと決心しました。










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直す部分はもう一つ
ロアーパイプ下面のデフォーム多数
平滑なパイプにしたいとのことです。

すごく荒っぽく乗られた車体だったようです。

これに長期間費やしていられないので
ごく簡単に直してみたいと思います。







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直すというか、ボロ隠し
曲げたパイプを半割りにして貼り付け
ツインウォールにしました。

板厚1.6mmなので丈夫だと思います。
溶接ビードは研磨しません。(板厚が薄くなるので)







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テンションブラケット削除しました。
溶断で切り落としてディスクサンダーで均すことで平滑になります。

2本のテンションパイプとクロスパイプの接合部、クロスパイプ両端の溶接ビード、謎の団子付けを改善すべく
TIGで舐めておきました。






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切り取ったテンションブラケットの代わりに
新造しました。

S45Cの板厚4mmを選択しました。
中強度の炭素鋼で軽く焼きが入ります。

?12ボルトがスムーズに入ることを確認して
フレームに溶接します。






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フレーム治具を組んだ状態で溶接しますのでボルト穴位置は元通りに復元されます。

ブラケット内幅のカラーに0.8mmシムを挟んで締め付けしているのは
溶接歪みで内幅が締まってしまうので
テンションロッドのディスタンスカラーが
入らなくなるのを防ぐためです。


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テンションブラケットはCRのフレームで最も引っ張り荷重が掛かる部分で
大ジャンプの着地などで最大10トン近くの力で引っ張られます。

そのため材質や溶接方法など、強度重視で配慮して加工しました。


これでML3フレーム改修完了です。



78年型CR250R(機種番号430)のサイレンサーです。
非分解のサイレンサーなのでどこで切断するか、修復することを考えて切断します。

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インナーパイプがどのように固定されているかわからないですが

おそらく片側差し込みになっていると推定して外筒だけ切断して中は保存したまま抜いてみる作戦です。









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年式の割には錆びもなく良好な状態です。

丁度、切ったところに隔壁がありました。
フロントパイプにインナーが差し込まれている構造ですね。









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インナーパイプはこのように収まる形です。

特に損傷はなく、このまま組み立てして大丈夫のようです。

44年前に製造のサイレンサーが良好なコンディションで残っているなんて
乾燥した地域で保存された個体に違いありません。






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新しいグラスウール巻いて差し込んでいきます。

鉄板が腐ってないので溶接作業も問題ないでしょう。










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組み立て完了しました。
鉄板表面はサンドブラストで塗装剥離されて持ち込まれていますので、何の煩わしさも無いですね。

旧品を新品素材のように扱えるということです。

抜いたグラスウールは画像ではわかりにくいですがスカスカに密度が抜けていて
丁度交換時期であったようです。

年末が近づいてきましたが、仕事はまだまだ終わりません。
大晦日も予約の修理があるので、発送業務はこれで終わりです。

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73年型MX250用で数年前に2回くらい作っただけなので、記憶を辿りながら作りました。

2度と需要は無いと思っていたので図面など残していなかったのです。
アーカイブから過去のプロダクツを閲覧されたと思いますが
一回作ったからといって同じ物が作れるとは限らないのです。





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幸いノートに書いてあった寸法を見つけたので作り方が分かりました。

チャンバーのテールパイプがL側リヤショックの外側を通っているので、サイレンサーの差し込み口は左側にオフセットされています。

そのためインナーパイプも曲がって取り付く構造です。
特に理由はないですが、ノーマルが同様になっていたので真似た形です。




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グラスウール詰めて組み立てました。

耐熱ブラックに合わせてカラーリベットにしてみました。
もちろん分解可能です。











明日は厄介な改造車のステップがもぎ取れたのを修理するんですが、どんな感じか車体来るまでわかりません。
出来る保障はないですが、早めに終わらせて年明けに乗るバイクの整備がしたいですね。








出ました、ハスラーシリーズ最大のシリンダー。
僕ら中学生のころのバイクですが、住んでいた地域では実車を見たことがなく
もちろん触ったり、乗ったりしたことないですが、250のかぼちゃシリンダーに対して
ハスヨンはスイカシリンダーと呼んでおりました。
加速は当時のナナハンを凌ぐと雑誌で読んだことがあります。

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きれいにレストアされています。
オフロード走らせないためか
タイヤもフラットトラック仕様になっています。

タンクはR・デコスタが乗ったRH72を模して
グラフィック作っているようです。

R・デコスタのRH72はバリー・シーンに譲渡されバリーが亡くなったあと未亡人がオークションに出品して別の人が所有しているそうです。


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でかいシリンダーですよね。
そのためヘッドとタンクのすき間がなく
ハスヨンのアップチャンバーは不可能なのであります。



そんで、オーナーさんのこだわりは
RH72風のダウンチャンバーというわけですが、400の型が無くて
以前作ったRH72のモディファイで模造しました。
性能は問わないと言われてましたので
十分なのではないかと思います。

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RH72風というからには
3か所のスプリングフックが付くのです。

エンジンケースのボルトとオイルドレンに
スプリングを引っかけるプレートを締め付けて引っ張っています。

テンションスプリングは全てスズキ純正で
72年当時のものが供給ありでした。






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オーナーさんこだわりの位置でマウンティングブラケット取り付け。

フレーム側にマウント増設してから
チャンバー側ステーの位置決めを行いました。

ブレーキケーブルとブレーキスイッチをギリギリ避ける絶妙の位置です。
ラバーマウントはワンオフです。




去年の7月ころから頼まれていたので
ようやく完了しました。

自動車の排ガス浄化装置、部品名はコンバーターといい排気管の途中に取り付けられます。
コンバーターはユタカ技研でアッセンブリーされますが、シールマットやステンメッシュで保護されて、ステンレス製の容器でカバーした部品です。
その中に排気ガスを浄化する触媒が入っていて、部品名をキャタリストとよびます。
当然キャタリストも設計された図面に基づいて製造されます。
しかし、機械部品の図面とは様子の異なる内容のキャタリストはハニカム構造のセラミックス担体に貴金属が目付された図面が標記されているものですから、機械加工部品とは全く違う製法や品質管理をしなくてはなりません。

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探し物していたら引き出しの奥から出て
きました。ドイツのエンゲルハルド社での打ち合わせの時のスナップ

会議通知を回したのは、この中におられる、栃木第一設計ブロック(エンジン設計)
のチーフエンジニア
現地法人の人達と、製作所の鈴鹿と狭山、
ホンダUKのパーチャス・セクション(購買部)
日本エンゲルハルド(現NEケムキャット)
HIT(ホンダ・インターナショナル・トレーディング)

左から5人目、一番小さいのが私。
91年、28歳のころでした。


ハニカムセラミックスは粘土を特殊な金型で押し出して、ワイヤーで切断したものを焼成して作られた陶器です。日本ではNGK(日本ガイシ工業)が担当し、貴金属の目付けは日本エンゲルと三井金属の2社手配となります。
貴金属は白金(プラチナ)が主成分で希土類元素が花薬として添加されます。
貴金属を泥水のようなスラリーという溶液に混ぜて、ハニセラムをどぶ付け乾燥させたものがキャタリストになりますが、その製造条件や浄化性能も機種毎に全て図面で取り決めされているので厳密な製造管理を経て、組み立て工場に、発注された数量と納期を守って搬入されなければなりません。
4輪の生産台数ですから一日に何千個のロットで製造されるわけですから、ミスのないように設計者が関係部門に会議通知を回して招集したというわけです。
ちなみにコンバーターは自動車部品の中で単体としては最も高価な部品だということです。

昼ごろ英国ヒースロー空港を発ち独ハノーバー着、チーフエンジニアや日本人駐在員と落合い、
ベンツでアウトバーンを走ってエンゲルハルド社へ向かいました。
会議終了して夕方の飛行機でベルギーのブリュッセルへ向かいました。翌日のCGW(コーニング・グラス・ワーク社)で会議のためです。
その夜はパブでムール貝たべたり、小便小僧を見に行ったり異国情緒を味わい、ホテルへチェックイン。
部屋から国際電話でドイツのシュツットガルトのニコンに駐在している高専の同級生と談笑しました。

翌朝、車で移動中NATO(北大西洋条約機構)の前を通過しながら、意外と田舎風景を見ながら
ここがモトクロスを国技とする国なのかーと思いながらコーニング社へ付きました。
ここではプレッシャス・メタル(貴金属)の話題だったのでジョンソン・マッセイ(貴金属を調達する会社)
のキャリア・ウーマンから説明を受け、HITの日本人駐在員は英会話堪能でキャリア・ウーマンとマンツー・マンで打ち合わせ、何を言っているのかわからない私は後で訳していただく始末。
日本生産向けの貴金属調達は田中マッセイ(田中貴金属)TVコマーシャルで有名でした。

無事会議終了し、それぞれの国へ飛行機で戻るのですが、ホンダUKのリック・スミス(写真左端)が
「空港までワイフに送ってもらったので帰りの足がない、クドーサンの車に乗せてもらえないか」
快諾した私は、イギリス人を車で家まで送る素敵な経験と思って、ヒースロー空港の広大な駐車場から
カンパニー・カーのバラードを運転してマニュアル・ミッションなのでヒールアンド・トーにダブルクラッチでギヤチェンジしていたら、スミスさんが足元を見ながら「ヒール・アンド・トーだね」と言うので、この人ドライビングに興味があることはわかりました。
後日、英国内の出張でスミスさんのクルマの助手席に乗せてもらったら、ウサギやキジが出てきそうな一車線の田舎道をドリフトしながらブラインドコーナーを爆走され、本場のヒール・アンド・トーを見せつけながらドヤ顔していたのを思いだしました。
F1コンストラクターの国です、一般のドライバーが十分速い、日本の交通事情とは大違いだと思いました。
3車線のラウンドアバウトをステップ擦りながら曲がっていくカワサキZZRを何台も見ましたし、クルマは交通手段だけでなく、走りそのものが好きな国民性なんだなと痛感しました。


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先日頼まれましたノグチ・チャンバーの複製

これ一個しかないので普段乗る用に新しいのが欲しかったとのこと

異形なパイプなので取り回し決めるのに一苦労でした。

なにせ、フレームやシリンダーフィン
にすき間1mmのところが3か所もあるんですから。




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私詳しくないですが
MX250というモトクロッサー

73年がYZ250Aだから
72年くらいですかね。

小学生時代、地元にオートバイ文化が乏しく、この車種の存在すらしらないで生きてきたので、今ここにあるのが不思議な感じがします。







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そして、これも詳しくないですが
F21M、カワサキのモトクロッサー

トレールモデル、バイソンが原型なのかな。
ご依頼はオリジナルがミドル・アップのチャンバーに対し、ダウンチャンバーにすること。

これは見本がないので、ご提示いただいだモノクロの写真一枚で真似て作ったので
スペックが合っているかどうか、わかりません。





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当然、オリジナルがダウンチャンバーでないので、マウントブラケットはフレームに増設しました。

これも写真の形状に似せてありますが、
そっくりではないですよ。

本物は誰も持ってないからわからんでしょう。






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そして、過去の教訓を活かし

ダウンチャンバーはキックペダルを踏んでみよ、ということで

キックは踏めます。







以上です。


新型コロナウイルスについて、欧米の主要都市は外出禁止を発令してウイルスの収束を謀ろうとしているのに、日本だけが自由に外出を許している現状に疑問があります。
評論家の見解の中に日本は諸外国より医療が充実しているので、感染しても重症化させないよう処置できる。その反面、感染が加速していくと隔離できる病棟に限りがあり医療崩壊するという意見もある。

諸外国がやっていても感染拡大を封じ込めていないのに、何も対策してない日本だけが助かる理屈はないはずです。

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「通常のインフルエンザとあまり変わらないのに騒ぎすぎだ。イベントなどの自粛はやる必要がない。」
こう述べる著名人もいます。

自分がウイルス感染しても同じことが言えるだろうか。
ウイルスは目に見えない、どこにあるかも分からない、これが恐怖心を持たない理由だと思うのですが
新型ウイルスは気管支など経口から浅い場所に取り付いていることが多いと言われていますが、やはり恐ろしいのは肺の細胞に感染することでしょう。


ウイルスと細菌の違いは細菌自体は細胞を持っていて自分で再生する遺伝子を持っていますが
ウイルスは細胞を持たないため自分で再生することはできません。だから動物や人の細胞に入って培養されることで生きられるわけです。
どこかでウイルスが発生しても数日で死滅してしまうが、ヒトがそれを触ってしまうと手から口へ入り込んで、ヒトが移動することによってウイルスを運んでしまうのです。

だから、感染してしまった人はウイルスを運ばないように入院して、そうでない人は自宅から移動しなければ確実に感染を阻止できるのに、ヒトは移動し続けています。

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一旦肺炎を発症してしまうと、どのようになるか知らない人が多いでしょう。
私の親族は高齢化で殆ど亡くなられましたが、およそ半数は肺炎をきっかけに命を落としましたから、そのたびに医師から詳しく説明を聞きました。

肺炎にかかると肺の細胞が死んでいくので
酸素を血液中に取り込めなくなり、非常に息苦しい症状になります。
やがて全身の臓器や筋肉に酸素が運ばれなくなり死に至るわけです。
最後の方は肺の中の二酸化炭素濃度が上がって昏睡状態になりますから、もがき苦しむわけでないのが幸いです。

東京封鎖して全ての経済活動をストップさせ、感染収束を目指すか、今までどおり仕事や行楽に勤しんで感染拡大を続けるか、どちらが早期決着を迎えられるか賢明な人ならわかりそうなものですが。
外出禁止期間はウイルスが生きられる2週間程度でいいのです。
感染した人の動きをとめれば、それ以上は増えないし、免疫力がつけば死滅の方向へ向かうはずです。
それなのに、経済が大事と一時の我慢もせずに、いつまでも動きつづけては隔離できる医療施設は一杯になり、重症患者の手当てをする医師も足らなくなって悲劇を迎えることは容易に想像できます。

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経済ストップしている間だけ
公共料金や税金、借金返済などの支払いを猶予してあげるように国が補償すれば
無理に仕事へ行こうとしたり
遊びに出かけようとする人の動きを止められるではないでしょうか。

それが新型ウイルス感染拡大を早期に終了させる最善の方法と考えています。


オフセット・サイレンサーについての説明は省略します。これを頼んだお客さんがみれば、完成したことが分かるようにしておきました。



75年型といえば私は中学生でしたから、この車体は初めて見ます。
初めて見る車体にチャンバーを新造するという、ご注文です。

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困ったことにノーマルチャンバーが取り付かない車体で、純正マフラーの取り付け状態を
確認することができません。

この年式のシリンダーヘッドは
アップチャンバーを取回すため
ヘッドの冷却フィン右側が削除されたデザインになっているはずですが

この車体はシリンダーヘッドの冷却フィンは切り欠かれていないため
チャンバーを通す隙間がありません。



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このとおりタンクとフ冷却フィンの隙間がありません。
Φ90のパイプが当たるほどの狭さなので
パイプの上下を潰して通しましたが
これで隙間限界でしょう。

「冷却フィンを削らないで」という依頼者からのご注文なので仕方ないでしょう。







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しかもサイレンサーをマウントするステーが
フレーム側には存在しません。

ノーマルがどのように取り付いていたか確認できない以上、自分で決めさせていただくことにしました。

フレームが綺麗に塗装済みのため
ステーの増設はしないで
2か所のバンドに溶接ナット付けて、テールパイプとサイレンサーを固定してテールの動揺を抑えました。
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サイレンサーはノーマルが付くようにしました。

リヤショックを避けるために極小RのS字テールパイプになっています。

これに合わせてオリジナルサイレンサーを作ります。






以上業務連絡でした。
3月中の完成に余裕をもって進行中です。
2年前に製作したRH72のアップチャンバーを更新しました。
前回はオリジナルのダウンチャンバーを採寸してアップタイプに形状変更したものでしたが
今回キャブレターやエンジン関係のモディファイが加わり、さらにパワーアップを求められたのでした。

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手前がモディファイ品

エキパイ長やパイプ全長に変更を加えました。
推定の仕様変更なので
パワー特性は実走して確認したいと思います。









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近所のテストロードへもってきました。

サスペンションが変わっていて車高が現行車並みに高いです。全く足届かないので
プラットホームからスタートします。

ダートでなくアスファルト路面で走ることによってチャンバー交換したときのフィーリングがつかみやすいのです。

エンジンかけて暖気運転しますが空冷の250ccはいままで体感したことのない(初めて乗った250は既に水冷でした)振動とノイズで緊張感は現行車以上です。
ブロックタイヤはあっさりグリップを失うので
ゆっくりスタートして、アクセルレスポンス確かめながら全開。
両側フェンスの道路なので直線安心して飛ばせます。
前回のとモディファイ品、両方乗ってみましたが結構違ったフィーリングであることがわかりました。
どちらも中速から高速まで息つきすることなく加速していきますが、前回の方がマイルドな感じで
モディファイ品の方が急激な加速をします。高回転は同じような伸びですがレブ特性は悪くないです。

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コース設定にもよると思いますが
関東のMXコースでは最高速は必要ないので、中間の加速を使って走るとペースアップできそうです。
振動が多いので、ブーツ履いていても足に伝わってくるバイブレーションで心配になってくる感じはありますが
アクセル開けていくと、エンジン振動だけでない車体の揺れが発生して、ステアリングのジオメトリーかフレームの剛性のためか
原因はわかりませんが、パワーを掛けたときに起こる車体の捻じれだろうと推察します。(とにかく恐ろしい)
他のどのモトクロッサーとも違う感覚で
乘りなれてないうちは怖い感じがします。

サスペンション強化されているので、現行車と張り合ってみたくなる性能は出ているかと思いました。



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年代を感じさせるエンジン形状、フレームの構成ですが、しっかりと戦闘力も持たせてあって、旧車なのに新鮮な感じがします。

依頼主さんは70年代のエキスパートジュニアチャンピオンの経歴をもっておられて
70歳をすぎてもMXレースに挑戦されている姿勢を見習わなくてはなりません。

車体があるうちに、もう1本チャンバー作っておきました。

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パイプの輪切りを一か所省略して
ノーマル風に加工しました。

前回のチャンバーも同様に加工やり直します。










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今回の注文はツインショックYZのエキスパートの人なので、サイレンサーの部材だけほしいということです。

ノーマルはテールパイプの内側にオフセットした取り付け構造になっているので
中身はこのように斜めにパンチング・パイプが通った形になります。








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曲げたテールパイプも支給します。
破損したノーマルチャンバーに移植するための部材です。













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ノーマル形状を踏襲したスペシャル・パイプです。

純正廃番になってもリプレイス可能です。












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サイレンサー後部にマフラーダンパーで吊り下げるのがノーマルの止め方のようなので
同様に取り付けたいと思います。

ビンテージバイクはオリジナルに拘ることに価値があるのですね。










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前回のサイレンサーは内側にオフセットされていますが、今度はテールパイプがセンターに差し込まれています。

後ろ側をマフラーダンパーを介して取り付けた形です。
ノーマルの取り付けがこのようになっていたことが後で判明しました。







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そして、ノーマルには無いのですが
このフレームにはダウンチューブにマウントブラケットが装着されていましたので
これを利用してマウントステーを追加しました。

紆余曲折しましたが、SPLチャンバーはこれにて完了とします。



オリジナル製作の前にサイレンサーを模倣して作っておきます。

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上はノーマルサイレンサー。

インナーパイプが壊れていたので
修理して、グラスウールをリパックしてあります。

したが模倣して作ったもの
極力似た形に仕上げてあります。

割り締めのバンドは新作しました。






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修理したテールパイプに取り付け確認です。

小さいのでサイレンサー本体のステーはありません。

バンドとテンションスプリングで脱落を防ぎます。

簡単な構造ですが、蓋の成形には金型製作が必要で、丸一日掛かりました。




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さて、ノーマルチャンバーを採寸して

エキパイと楕円パイプ作りました。
特に考えはありません。
当時ものをリプレイスする目的なので
同寸であれば性能も変わらないと思っています。








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仮組して取り付けレイアウトを確認します。

意外と左右、上下に隙間がなく雁字搦めな位置決めですが
ノーマル形状なので、やり直しすることなく
クリアできました。

当時はダウンチャンバー時代から
アップチャンバーに移行した最初のモデルが、このYZ250だったと思います。
この後の他メーカーも同様なレイアウトになっていきました。



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これでノーマルチャンバーとサイレンサーのリプレイス品製作完了なのですが

フレームに一か所マウントステー追加するのかしないのか、
ノーマルはテールパイプのマウントだけなので振動が集中して亀裂が入っていたことから、もう一か所止めると安全になると思うのですが
要検討です。
国内に動く車体は5台しかないという73年型、ヤマハとして最初のトレールバイクDT1と同じエンジンを搭載したレーサーモデルYZ250。
ツインショックのYZ250は1年しか生産されなかったことが個体数の少ない理由の一つと言われています。74年型からリヤサスはカンチレバー式に変更されていました。

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チャンバー修理のため取り外しています。

損傷はありますが十分原型を留めたノーマルチャンバーとアメリカのビルダーが製作したスペシャルパイプと2種類あるのですが

ノーマルチャンバーは廃番でアメリカのビルダーさんが高齢のため廃業されたため入手不可能になったものをオリジナル製作の予定です。






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上がスペシャルパイプ
下がヤマハ純正

タンク下を通るパイプの胴体の縦幅が狭くなった楕円断面であることが特徴です。










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まずはノーマルチャンバーの損傷部分を取り替えるためエキパイ新作しました。

この後はサクサクと進行していくと思います。











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テールパイプ
上がノーマル
下は新たに曲げたパイプ。

このように滑らかなカーブの方がよろしいんではないか。









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エキパイを繋ぎました。

まあまあ、ノーマルを再現できたのではないかと思います。

このチャンバーはフレームにどこもマウンティングされません。
フレーム・メインパイプからスプリングで吊り下げるだけのようです。

初期のトレールバイクだから大胆な発想です。



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テールパイプも繋いでみましたが
サイレンサーがちょっと上向きですね。
これはやり直しします。

しかし、この形状ではテールパイプを固定する場所がありません。
ショックのアッパー・マウントを利用すると思いますが
明日レースなので、今日はここまで
月曜から続きをやります。







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雨のオフビ、泪雨。
ヴィンテージバイク走れそうなコンディションではなかったので早々にリタイヤ届して
本戦のSEクラスだけ走っておきました。

両ヒートとも苦手な場所で転倒してしまい
リザルトは見てないですが不完全燃焼ながら、課題は見えてきました。
今年最終レースなので、また来年に向けて
トレーニングに励みたいと思います。






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さて月曜になり、泥汚れの後片付けを済ませたら、チャンバー修理の続きです。


テールパイプ曲げ直して
リヤショックマウントにステーを取り付けました。

修理の方はこれで完了ですかね。


サイレンサーも同様の寸法でリプレイス品作る予定です。



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エキパイ移植状態

大体ノーマル形状再現できました。

同じ形状で、次回全体のリプレイス品を製作する予定です。

Wワーク夜の部、早くも今週木曜日から出勤です。
始業時間が早いとPM4:00 遅いときはPM6:00と変動するので
来客や電話は夕方から対応できませんので、御用の方はメールで問い合わせていただくか
PM3:00までに電話していただきたいと思います。

今日午前中は派遣先の現場を見てきました。
守秘義務があるので会社名や職種は明かすことはできません。
午後からRH250の続きです。

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テールパイプ作りました。

文章だと一行ですが、難しい取り回しのため夕方までかかり

マウントステーも付いたので
装着確認です。









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クリーナーボックスを貫いて
リヤフレームをギリギリ避けながら
サイレンサーへ向かいます。

色んなものに隙間がありませんので
これ以外のパイプ位置が出せませんでした。









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スチール製なので
耐熱クリヤ塗装して完了です。

まあまあ予定通りの作業時間でした。




一件落着






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サイレンサーはオーナー自ら製作した一品だそうです。

城北SPLに似てますが別物です。

オリイ社長はレーザー加工が得意な会社を経営されているので溶接技術も私なんか比較にならないくらい上手なんです。

「アップチャンバー作ってくれ」と頼まれては恐れながらお引き受けするしかなかったですね。
55歳でもモトクロスの世界では小僧みたいなもんです。

YOGP(元神戸木の実RTでカワサキの契約ライダー、その後レーシングドライバーの従野孝司さん主催のオフロードイベント)
で快音響かせていただければ、いいのですが。

今日の午前中は派遣社員の登録に行ってきました。
近いうちに別の会社で働きますので、こっちの仕事は趣味に転向されると思います。
派遣期間終了後に正規雇用されることを目指します。

午後から製作中のRH250チャンバーの続きです。

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なんとか晩飯前にパイプが繋がりました。

文章だと一行ですが

チョー大変、これ以上ないほど困難な取り回しでした。

2度と出来ないんじゃないかと思うくらい
奇跡のレイアウトでした。

ゼーゼー・・・





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なんでこんなに上も下も隙間がないんだというくらいキッチキチです。


なんとか当たらない位置に収まっているんです。


俺の脳みそフル回転。
難しいパズルみたいなもんです。







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エアクリーナーの中を貫いています。
こんなのアリか!

明日はテールパイプとマウントステー作れば完成なんですが
親戚の結婚式に出席するので
仕事は無し。

日曜も休みで月曜日完成する予定なんですが

月曜は新しい職場へ見学に行く時間もあるので微妙なところです。

最近私事で昼間の仕事を減らしてWワークすることにしました。
債権者さんが「早よ金払えー!」と言ってこられまして、私も事情があって
支払いが滞った月があるのは分かっていましたが、口座記録の全体までは把握できてなかったので
お怒りになる金額を試算してみたら、およそ20年間で全額1300万くらいのうち500万円が未払いと出てきました。
これはちょっと直ぐには工面できない金額です。
では債務の内容は何かといいますと、私の知り合いのうち半数近くの人が同様な経験をされている
例の件で、具体的には明かせませんが、養育費や慰謝料といった司法の判断を、
経てない約束と
いいましょうか、そんなことで月づき払うことになったのですが
元々収入の不安定な個人事業のうえ、怪我の治療や震災時の不振、親の介護など就業不可能な期間も重なって支払い困難な時期もありました。
金融からの借金とか何かを購入したとか実態のないことなので後回しにしておりました。

水道に例えると蛇口が緩んで水が漏れ続けている状態、少しずつでも長い時間が経つと大きなプールになってしまいます。
水が溜らないためには蛇口を締めればよいのです。そしてバケツで水を汲みだしていけば、いつかプールも空っぽになるというわけです。

そういうわけでWワーク始めますので、これまでの生産ペースは維持できなくなりますのでご了承ください。
債権者さんが「いつまでも値段据え置きで安く働いているから生活苦になるんだ、値上げしろ」
と仰るのですが、これはむしろ逆効果だと言わざるをえません。
お金次第で高級なものや希少なものでも手に入る時代です。
高級なものには価格の理由があって、まず材料が高価、加工が困難、生産設備が高額、高性能、高精度、私のように設備投資もなく、ハンドワークで量産品なみの品質をつくれない製造屋が高額な工賃で
頼まれるわけがありません。
それからお客さんの殆どは顔を見ることのない通信販売によるものです。
お金を前払いして本当に商品が届くのか、初めて頼む人は不安ですよね。
だから万が一あげてしまっても困らないくらいの金額なら注文してみようという心理も働きます。
それは、あってはならないことですがネット通販ではよく起こるトラブルらしいし、心配して当然です。
だから可能なら通販ではなく、対面で交渉した上での仕事をしたいと思うのです。


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今回も初めて作るので時間掛けてやっていますよー

RH250ということで、スズキのモトクロッサー75年モデルは市販のTM250から
RM250にモデルチェンジする中間で生産されたワークス向けレーサーで
生産台数が少ないので希少モデルだそうです。

ノーマルはダウンチャンバーですが
オーナーの注文でアップチャンバー希望されているのでクラッチワイヤーが外回しなんです。
マグラの油圧クラッチ付ければオイルライン中通しできるのですが、どおでしょう。

スペシャルパイプ半分くらい組み上がってきました。あと二日かかるかな。
4型(78年)RM125ですが、去年ドライブスプロケット摩耗でチェーン脱落しました。
純正のスプロケットを調べたら、ナメてしまったのは13Tでしたが標準は14Tということが
判りました。
当然ドリブンスプロケットも違っていたので、この際標準にして乗ってみようというのが
問題の始まりでした。
この車両は4型だと鵜呑みにしていたので、78年の標準で59T(在庫一個限り)を注文してみたら
ハブ取り付け部が全然違っていて使えません。
どうやら3型以前のリヤホイールが取り付けられているようです。
それならば3型の59Tを注文しようとしましたが在庫が無く、海外お取り寄せなら可能だということですが
スプロケットごとき、作ってしまえという考えにいたりました。


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部品メーカーならCNC加工で作るところですが
当方には加工機がありませんので
フライスと旋盤だけで加工します。

A7075の板を取り寄せましたが
t8しかありませんので

スプロケットの板厚t7.3になるように
切削しています。(428サイズ)

3型のハブ穴は予め加工しておいて
ハブセンター基準で外周とピッチ円周上に
59個の下穴を空けておきます。



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刃先を加工しますが
これはバイトがビビッてダメでした。

大体の形状はできたので、後で修正します。











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刃先の形状を整えます。

正確なピッチ円と刃先の形状ができていないと
チェーンがうまく食いついてくれないです。

改めて標準のスプロケットの加工精度が重要なことに気付かされます。








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純正品に準じて、肉抜き穴加工しています。

8回段取り変えしますので
8か所穴加工で2時間かかります。

トータルで冶具加工も含めて
1.5日費やしています。

1万円以下で完成品買えることの
ありがたみをヒシヒシと体験できました。






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左は3型ハブセンターのマスターに

右が4型純正品、ピッチ円のマスターに

図面が無いので現物が役に立ちました。

下側が今回のワーク









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組立て確認OK

チェーン滑らかに回ります。

これでいつでも乗りに行けるというわけです。

スプロケット注文して作るメーカーもありますが、これは自分で作るという遊びなんで
他人に頼んでいたら遊びにならんですからね。
CR250Rの空冷エンジン最終型が467ということですが
50歳以下の人はリアルタイムで見たり乗ったりした人は殆どいないと思います。
当時小学生でCR250乗るわけないですからね。
私も最初に乗ったホンダのモトクロッサーはKA3(水冷の初期型)ですから
467は見たことあっても触ったことが全然ないのに、チャンバー作りで初めて触るという
因果な巡り合わせです。

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80年頃、五明(松山オートテック)へ練習に行くと、瀬戸レーシングのメンバーが430、467を並べて置いてあったのを思い出します。
あんな竹馬みたいに背の高いバイクは俺には乗れねエと思っていました。

瀬戸レーシング言えば、最初のRSC契約ライダー、
吉村太一さん、上野広一さんのチームメイト松本満男さんですね。
私が見たころはギリギリ現役の松本さんの姿でしたが
四国では、うず潮RCか瀬戸レーシングかという勢力でした。

そうか、そうか、あのとき見たマシンなのだなと。
名前を憶えているんは、池田昇さんと小椋兄弟ですかね。
当時の師匠、中川さんが「立っとるか座っとるかわからんやろ」というのが池田さんで小柄なのに速いナーと思って見ていました。
小椋さんの弟は僕と同期なんですが、兄貴の方が国際B級で81年の全日本松山大会の予選だったですけど、スタート直後の1コーナー立ち上がりでマシンから投げ出されて、駆け寄っていく姿がみえました。すると起こしたマシンのハンドルが折れていたので、そのままリタイヤでしたが、
あんな速い人が予選で転ばされるのかと思って、俺なんか絶対全日本なんか走りたくないなと思ったもんです。

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四国出身の国際A級ライダーは福本敏夫さんがカワサキで走られていたころなんですが、
それより先にメーカーと契約された人がおられたことも知らなかったんです。

当時はオートバイ雑誌しか情報がなかったですからね。
なーんも知らんとモトクロスしよりました。







また昔話かと思われるかもしれませんが
オッサンが集うと見事に昔話しかしません。
30年、40年前のことを先月のことのように、です。
「オレは小野沢に勝ったんだ」
「ええー!ほんとうですか、すごいじゃないですか」
そんで「いつの話ですか?」
「ノービスの時だ」
「なんだ35年も前のことじゃないですか」
こんな感じです。

思い起こすと、今より若かったころの方が楽しかったのでしょう。
そして人は過去の経験、出来事を積み重ねて構築されている生き物のようです。

新しいことを言うときは仕事の打ち合わせ時ですが
そうしないと生活していかれないので仕方ありません。

 ヨンサンマル、3年ぶりのロット生産です。79年型CR250R用チャンバー

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車体ないので治具で作っていますが

年月が経つと作り方忘れてますね。

こんな感じだったかな











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一応治具にははまっていますので

信用するしかないですね。

単純な形状に見えますが、旧車は隙間関係がシビアな部分があります。


まだまだ予定が残っていますので進行中。








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今日は一日雨降りだったので
洗車を済ませました。
現地の洗車だけでは泥が落としきれてないので、出るわ出るわ

マディーの後はいつものルーティンです。
そうしないと次の作業に掛かれません。

奥のRMとフェンダーの高さが歴然です。
78年と2013年ですから
年式差35年です。
乗り比べると技術の移り変わりが良く分かります。
両者はレーサーですから
2輪メーカーにとって戦闘機なわけです。
その時代の技術者が最も競争に適合すると思われる商品を開発したわけですから、両方の時代の技術屋さんの感性というものを
動的に味わえるという点で、幸運なことだと思えるのです。

あと35年後のオートバイはどのように変わっているでしょう。見れるかなー

今日はちょっと残業のつもりが、大がかりになってしまいました。
もうすぐチキチキVMXの日なので、RM125の修理を行おうということで
去年の同大会でチェーンが外れてドライブプロケットのガードを欠損していました。
チェーン外れの原因はスプロケの山が摩耗したことなので、ダートプラスで部品注文して
428チェーンと共に新品交換してありましたが、ガードは無いので純正部品探すより作った方が早いかと思いました。

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3点止めなので、ネジを付ける台座をフライス加工しました。

M6ネジのスモールヘッドを使うことを考慮してTレンチが入るサイズの座グリが必要なのです。










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純正に似せた形状のプレートを台座に溶接して完了です。














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接合は裏表、しっかりと溶接します。

これでチェーンが当たっても壊れることはないでしょう。
純正はマグネシウムですがアルミにリプレイスします。










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プロテクターとブーツのホールドも兼ねているので、最適な形状だと思います。

作り方にマニュアルはありませんが
別の技術をお持ちの方は別のアプローチをすると思います。
手持ちの道具だけでやろうとするので
このような手順になりました。













日曜日のMXVは予想に反して雨も散水もないドライコンディションで本来走りやすいはずなんですが
自分の問題でダメなレースでした。
全然荒れてない路面なのに2回も転倒した250クラスと熱中症気味でペースダウンした450クラス
どちらも5位でしたが参加台数が少ないので30台出走なら10位とか20位くらいの結果でしょう。
このまま沈んで行きたくはないですが、老化だと受け入れておきます。

さて今週はこれです。

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444サイレンサー純正もどきです。

鉄板を巻いて作ります。

前後キャップは金型作って型押しする予定です。










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別件ですが、これは金曜までにやるんです。

長いエキパイを切り詰める作業ですが
エンジンも含めて完成形は無いみたいです。
できたものに対して常に新な要求が生まれてきて終わりがありません。
急な依頼は普通はお断りするんですが、
半年待っておられるお客さんもありますからね。
ちょっとこれはお断りしにくいといいますか
命令に近いものがありますので
なにがなんでも金曜までです。
(大したことしないんで大丈夫かな)


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サイレンサーエンドです。

丸棒から削った金型オス、メスを使って型押ししました。

板取寸法も成形を左右する要素なので
若干のトライが必要です。

与えられた見本の形状に沿った作り方を考えていますが、経験や知識はゼロに等しいので悪戦苦闘の連続です。(大袈裟な表現)




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サイレンサー・フロントキャップです。

プレス成形ではありませんが
サイジング用の型に押し込んで叩いて作りました。

パーツ毎に作っていますので
構成部品が揃ってから一気に組立てます。








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ちょっと残業してエキパイの切り詰めやっておきました。

CRF250は、やってないですからどんな仕様かわかりませんが、これで走りがよくなればお安いものです。










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ジョイントパイプ

砂詰めない手曲げです。

パイプエキスパンドは型押しで











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セパレーター

当然必要な構成部品です。

わかりやすく先に入れた図になっていますが
サイレンサー側に入れて溶接してから差し込まれる順番になります。








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パンチング

中身は防錆のしようがないので
0.8mmステンレスで巻いています。
もちろん鉄より固いです。




シンプルなサイレンサーですが
構成部品はまだまだあります。


444(79CR125)チャンバー無限MEタイプと呼んでおきましょうか。プロトタイプ完成です。

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オリジナル品のプレス成型品とは違いますが、手巻きと膨らましで作りました。

純正の444とは全く違うスペックに見えます。

計測はできませんが
お馬さんはおるかいねー。

曲ったサイレンサーに取り付けていますので、真っすぐなサイレンサー作りも急務です。




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このパイプは平らな板から切り出して作るのですが
最初から展開図が出来ているわけではありません。
一発目は狙いと違った寸法のものが出来てしまうので、そこから修正を加えて精度を上げていくので
このように展開した鉄板が大量にできてしまいます。







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車体に取り付けてクリアランスを確認します。














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マウンティングステー
補強のため座布団付きです。














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口元とスプリングフックの部分

エキパイ外径φ38













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テールパイプ

差し込み部分だけです。
非常にシンプルですね。












以上の仕様で初ロット50台分生産に掛かります。

急なご依頼には対応できませんので、ご了承ください。


80年代CR125の無限キットに使われていたピストンは444流用でした。
狭山レーシングで83の無限シリンダーを貰ったので、朝霞の無限本社までピストン買いに行った記憶があります。
444は市販車でもポーラスめっきシリンダーだったのですね。
それから世紀の失敗作フロント23インチもこの年(79年)だけの仕様。

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これはホーリーさんからの預かり物で
無限のファクトリーマシンらしく
前後サスペンションやチャンバーが量産とは違っています。
フロントも21インチに換わっています。

これが発売されたころ私は高専の2年生で
学生寮の勉強部屋にこれのカタログを貼っていましたが、高嶺の花で実車を見たのは
五明(松山オートテック)でしかありません。

まだどこの会社に入るかもわからない時代でしたから、これも何かの縁でしょう。



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今回はこの無限パイプの複製を頼まれましたが、プレス成型でなくハンドワークの手巻きと膨らましで似せて作ろうとしています。

量産型とは全然違う形なのでこのマシン所有しているレストアラー向けの補養パーツになるはずです。









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このパイプも激しく腐っています。
なんとか補修して使い続けようとした痕が見えますが、ここまで腐ったら諦めたほうがよいでしょう。

その代わりに寸法図って新品複製します。










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こんな感じで型を決めている最中です。

オリジナルもそうですが、ハンドル切ったときにフロントフェンダーが擦ってしまうので
なんとかギリギリ交わせたらいいのですが
難しいところです。



サイレンサーも横から突っ込まれて曲がっているので復刻する予定です。
これは位置決めの治具代わりです。




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なかなか似ているでしょう?

この型で行こうと思いますので明日から生産に掛かります。

完成までお待ちください。

機種番号400、75年型エルシノアを無限ファクトリーでモディファイしたマシン。
私は中学生でしたのでモーターサイクリスト誌の写真記事でしか見たことがありませんでした。
ライダーは鈴木秀明選手ゼッケンは#7だったかな。
白色に塗られた車体に赤いレザーに張り替えたシートの横にhideakiの文字。
何年か前にジャパンVETのセレモニーに実車が展示されていて驚きましたが
今回はそれに取り付いていたであろうサイレンサーの現物が届けられ、
中学時代の自分には到底予想もつかない展開だったでしょう。

400の無限マシンを模倣したチャンバーとサイレンサーは5年ほど前から作っていましたが、画像を参考にしただけなので見た目以外の詳細は殆どわからない状態での創作でした。
チャンバーのスペックは400のダウンチャンバーを採寸して形状をアップチャンバーに変更しただけなので動力性能に影響はないはずでした。

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上が無限の実物だそうです。

ようやくサイレンサーだけですが全容が目の当たりにできました。

下は弊社オリジナルですが、現物無しで作った割りには似ているではないでしょうか。
寸法を同じにできない理由は
創作したチャンバーとセットの部品なので
狭いフレームの中を通す都合で
再び車体で検証するか、チャンバーの形状も見直さないと取り付けが不可能になると思います。


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実物が届いてからサイレンサー前後の蓋を似せるために金型を作って成形しました。

あまりにも簡素な金型で全国の製造業の人から嘲笑を受けそうな作りですが
治具代ゼロ円で作っているといえば納得していただけるでしょうか。

月給保障された上にメーカーと癒着して私物を作ってもらっている一部の会社員のよにはできません。


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こんな感じで400サイレンサーのマイナーチェンジいたしました。

50台分ご注文いただいいるので当分の間新規取引を控えさせていただきます。











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本田技研工業(株)埼玉製作所時代に被っていた作業帽です。

私が会社員だった証になるものは、これくらいしかありませんので捨てられないで取ってあります。
同僚が書いた落書きがいい思い出です。

2連ジャンプをためらって飛ばなかったら次のステップには永遠に行けません。
会社辞めるのはすごく不安だったけど、辞めなければ次のステップに進めないのは
2連ジャンプと同じ理屈です。

先日、元無限ファクトリーライダーの伊田さんから、本物の無限チャンバーの研磨を頼まれました。

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サイクルサウンズ誌に載ったこのときのマシンです。
85年全日本選手権、国際A級125ccクラス
開幕から4ヒート連続優勝。
鮮明に覚えています。
その後無限からプレゼントされたME125は伊田さんの下に、そして東希和レーシングの先輩、岸さんの店(ラフ&ロード)で展示されて20余年の月日が流れ、持ち主のところへ帰ってきました。

その歴史に残るマシンから外されたチャンバーなので丁重に扱わせていただきます。

私のモトクロス人生において当時の国際A級ライダー(全日本ランキング上位5名昇格時代の)は神様と同じ、しかもチャンピオンからの依頼ですから「俺は研磨屋じゃないよ」なんて言える立場ではありません。
「へへー、承りまして仕りまする」という具合に研磨屋に持ち運ぶ役を仰せつかりました。

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まずさび落としに高品質なウエットブラストしてもらおうとしましたら
大きすぎて機械にはいらないと言われ、やむを得ずサンドブラスト頼みました。











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仕上がってきた状態です。

完全に錆が落ちていますが、光沢はありませんので、手仕上げすることにします。












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おっとー、腐食により穴が開いています。

これは溶接で塞いでから研磨します。












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全体をサンドペーパーで擦って艶出ししました。

今回はバフはかけません。
レーサーなのでこれくらいの仕上げが本物らしいと思います。

放っておくと錆びてしまうので、耐熱クリアーを吹かせていただきます。







サンドブラストなら知り合いでいくつか出来るところあるんですが、わざわざ八潮まで持っていってやってもらったのは、もう一つの目的がありました。

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これを見せてもらう用事でした。
去年の旧車天国に展示されたのは知っておりましたが実車は見ておりませんでしたので。

80年にジョニー・OがUSGP125ccクラスにスポット参戦して優勝したマシンのレプリカです。

本物は関東某所で見たことありますが、これは本物より綺麗です。
もっとも本物はジョニー・Oが乗って痛んでいるわけですから、当たり前ですが。

じつはこの車両のレストア前の姿も見ていましたから、変貌ぶりは精巧なフィギュアと言いましょうか、もちろん動くわけですから限りなく本物に近いでしょう。

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一般公開されているわけでなく、ここへ来ないと見ることはできないですが
「走る予定は?」と聞きましたら、
「土を付けたくない」ということです。

乗りもしないものにお金を掛けられる、最高の贅沢じゃないですか。
しかも、限られた人しか見れない監禁状態ですから、うらやましい限りです。

オートバイの楽しみは乗るだけじゃないことも理解できます。
コレクションホールのように歴史に残る車両がいつでも動く状態で保管されていることに目的があるのだと思います。

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古いだけの車両はたくさんあると思いますが、ほとんどがスクラップ状態で、いつかゴミになっていく運命です。

何十台も所有している人もおられますが、家族や親戚はその価値も分からないので、持ち主が死んでしまったら
同様にゴミになっていくでしょう。

そこで、このようにキチンと仕上げた車両であれば、誰かの下に渡って生き続けることができる。
歴史を継承する役割であると、私は思っています。




最近の流通は恐ろしく早いですな。
月曜日注文した部品が水曜日に到着して、マシンに装着されておる。
1978年型の部品に在庫があるのもすばらしい。
部品代1736円 送料756円

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ホンダ社員時代は、もっと早かったです。

日曜日にミッションが壊れて、その日のうちにエンジン開けて部品をリストアップすれば
月曜日に所内のSFで昼休みに注文できました。
翌日部品が入荷するので
水曜日の夜にはエンジン組立ってフレームに載っていたわけです。

業務上、緊急で部品がほしい場合は
伝票持って近所の日本梱包へ直接取りに行くと即日手に入りました。

今は一般人なので無理ですが


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摩耗したスプロケは13Tでした。

STDは14Tなので、こっちを使ってみます。

いつになるかわからんけど

突然思い立ったヘルメット改装作業です。
マスキングテープ剥がしたところが汚過ぎて、水研ぎした後に縁ゴム外して塗り直しました。

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板金でこしらえた丸バイザーはファイブスナップにして、当時のイメージを再現しました。

何をモチーフにしているかは、往年のMXファンには説明の必要はないですね。










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貼ってあるロゴはステッカーサイズ確認のためカラーコピーを使っていますが

20年来の盟友マッドフィッシュにステッカー制作頼みましたので、明日完成する予定です。

全日本前なので夜寝ないで印刷機動かしているので、打ち合わせは夜2時に三郷まで行ってきました。

ホント無駄なことに掛ける執念は半端じゃないです。



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衣装はこれだけ揃いました。

ヴィンテージMXはマシンだけ古いんじゃなく、装備も当時の雰囲気で統一しないと
ただのカッコ悪い遊びになってしまうと思うので

人がどう思おうと、自分がいいと思うスタイルで決めていきたいっちゅうもんです。

いかん、いらんことばっかりしよって
RMエンジンかけておらんかった。
仕事あるから、あれは明日にしとこう。

排気系作りだしたらサイレンサーを避けて通るわけにいかないですよ。

なのでオリジナルサイレンサー作りました。

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φ60 前後削りだしキャップに
ステンレスパンチング入り

軽さと強度にこだわり、内径は
テールパイプφ25.4の内径に合わせて段差を極力なくして排気抵抗を抑えました。

ビンテージモデルなので光ものは似合いません
のでバフ掛けはしません。
素材のままがレーサーなのです。





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取り付けはノーマルに準じて、テンションスプリング止めです。

早く音が聞きたい衝動を抑えて
さらに作業を進めます。











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この車両はアルミハンドルが付いておりましたが

運転手からするとハンドル形状はこだわります。

ゴミ箱から何用だかわからないクロモリハンドルを見つけましたので
こいつを曲げて好みの形状にします。

ハンドル高さが調度よいので、当時のRM純正風にしてみたいと思います。





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このようにテーブルに平らに置いて、パイプエンド高さで絞り具合を調節します。

これはパイプエンド高さ50mm

ハンドル長さは両側15mmカットして
770mmが私のベストサイズです。









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見事に一文字ハンドル完成

アキラ・ワタナベタイプです。

色はシルバーで塗装します。

段々自分好みのオンナ
マシンになってきました。

RM3型アルミタンクの塗装が仕上がりました。
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う、美しい

純正に忠実に塗ったと思いますが
調色といい、艶といい、
何も言うことありません。

下手な修理のタンクを嶋野さん(フラワーオート)に持っていきましたら
即座にダメ出しをもらい
「何年これでメシ食ってるのよ」
たぶん45年くらい
ヤクザのベンツの修理から
ワーゲンのチョップド・ルーフまで
あらゆる板金修理をこなしてきただけあって
歪んだサーフェイスは許し難かったようです。

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SUZUKIのロゴはホーリーさんとこで復刻していただいたデカールです。

純正に忠実に直すためには不可欠なアイテムです。

実はタンクの修理は10年に一回くらいしかやったことがないので、満足に直せません。
というかそれくらいしか需要がないということなので、自分のやつ以外はやる必要がないという結論にいたりました。





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同時にチャンバーも組み立たりました。

ノービス時代にこんな技は持っていませんでした
レース前はチャンバー作りからという基本は

安月給で部品も買えないのに、チャンバー凹ませて修理不能になったとき
鉄板から巻いて作れば、カネはかからんという理由からです。
パワーアップでもカッコでもないんです。
要はカネがないので仕方なくやっていたことです。
これで純正と対等に走れば文句ないでしょう。



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これで昨日とは違うマシンの外観になりました。

38年落ちのマシンで速さを求めるつもりはありませんが、自分だけのテイストは注ぎ込んでいきたいと思います。











来週はMCFAJのレースで翌週がチキチキYMXなので、もうちょっと手を加える時間がありますね。

80年ころ先輩から譲ってもらったRM125に乗ったころは何も出来んノービス君だった俺。
あれから36年経って、素人なりにも経験は積んできたので、あのころと違う自分が
あのころのRMに乗れるという奇妙な体験をするのであります。

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せっかくなんで、ちょっと覚えたチャンバー作りで
当時のマシンに味付けしてみようと思います。

修理したアルミタンク乗っけて、手作りチャンバーに交換して工場レーサー風というコンセプト。


肝心のエンジン、足回り部分は手付かずですが
故障しないことを祈ります。






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これは型を決めようとしているだけなので

製作はもうちょっと後になります。

なんせ遊びじゃけん仕事の合間にちょっとずつね。



日本最強のVMXワークスショップのホーリーさんから情報をいただき動画をUPさせていただきます。

桶川や後楽園スーパークロスも走ったことのあるAMAモトクロスのレジェンド、マーティー・スミスさんと
アメリカホンダの有名チューナー、デーブ・アーノルドさんがスーパークロス会場の展示品CR250Rに装着された
弊社製チャンバーと一緒に写っています。



一昨年、ホーリーさんに50台分納品しまして世界中に渡っていったうちの1本だと思います。
ビンテージチャンバーの企画はホーリーさんの提案なので、このような機会に恵まれましたことを感謝いたします。
先週から成形トライをやってきた467チャンバーの1号機が出来ました。

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見本は無限で製作された金型プレス品で
ZAS型鋳型機も大型プレス機もありませんから
板金製法でこしらえました。

費用は鉄板代と溶接ガス、電気代くらいでできてしまうのですが
板金には幾何学的考察が必要で
目で見て形状を頭の中で理解してから
鉄板の罫書き寸法に落とし込むという
技が必要です。

やり方は百万円くれれば誰でも教えますが
できるかどうかは努力次第ということになります。
(冗談)



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実車に取り付けてレイアウト確認です。

一台三日掛かりますから、50台作ると
休みなしで5か月掛かる計算になります。

隣町の有名コンストラクターさんの会社では
RC213VーS(2千万円のロードバイク)のマフラー250台分注文されているそうですが一か月くらいで生産してしまうんですね。

一流メーカーになるには技術力も資金力も全然足りません。
だから身の丈に合ったことをやっていくだけです。



他メーカーで製造されたマフラーのデザインを真似て作ったり、型取りしたりすることは個人的な趣味であれば問題ないですが、それを販売するとなると問題になります。
実際私のところに画像などを見せて複製してほしいという問い合わせがありますが、すべてお断りすることにしています。それを作っているメーカーか販売店に注文すればいいだけのことです。
私が引き受けているのは、入手不可能になった物で尚且つそれを作ったメーカーが製造を打ち切っている場合に限りますのでご注意ください。

35年前に製造されて一般流通もしたこともなく、それを作った組織も終了しているので不服はないと思っていますので公開していますが
これは商標権か特許を侵害していると申し立てる人がでれば中止することは明言しておきます。
そもそもレストアという作業の一環なので、当時の風合いを再現することが目的なのです。


467ccじゃないですよ、ホンダの機種ナンバーが467で表される80年型CR250Rです。
最後の空冷ツインショックですから、世界中に保管されているビンテージMXファンがいらっしゃるでしょう。

430とは排気ポートの向きやフレームの形状がちがうためチャンバーを流用するのは不可能なため
新型作りから始めました。

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このような作業を何百回も繰り返してきましたが
何回やっても難しいです。
スクラップを大量に生み出しながら
三日かかって、これだけできました。

これは型を決めている作業なので
このパイプを開いて展開型にします。








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全部膨らまして作ろうとしましたが
カーブが微妙なため、あきらめて巻きチャンバーにします。

マニア的にはこの方が古めかしい外観で好まれるかと思います。


肩が痛いので柔らかいものでも触ってみることにします。
アルミタンク作りの技法ですが、従来はいきなりアルミ板を板金して溶接でつないでいましたが、
それでは目標とするデザインとは違ったものが出来てしまう。
または、形状に不満があっても組み立てた後では修正もできません。

そういう問題点を解消するためには、予めモデル成形して完成予想図を見ながら検討するのがよろしいでしょう。
そして納得できるモデルができたら型取りをして叩き台を作るという手法をとります。
最初から外注するのでしたら、工業モデルから亜鉛型を起こして、大型プレス機でアルミ板を成形できる企業もありますから、予算が許されるのであれば高品質なタンクが出来ると思います。

しかし、外注するということは自分の意思は入りません。
注文者と製造メーカーとの契約があるだけです。
私が目指すものは、そういう商業的な経済活動をしたいのではなく、
自分の意思を具現化することを、自己責任(自前の資金と労力)で行うことにあります。

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先日、セメント型から叩き出したアルミの底板を乗せて位置決めします。

この状態でハンドルを切って、三つ又とタンクの隙間を確認するためです。

後ろ側はシートを乗せて、タンクとのつながりを検討しながらモデル成形します。







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先ずは発砲スチロールで大雑把な形状を作っておきます。

インダストリアル・クレイ(粘土)の量を節約するためですが、

意外と粘土の量が必要で、発砲スチロールは、なるべく完成形に近い形状になっていないとモデリングに時間が掛かることが分かりました。

なにせ素人なのに、何の勉強もせずに、いきなり実践というわけですから
わからないことが多いのは仕方がありません。

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案の定、粘土の量が分からず、成形する前に足らなくなって中断してしまいました。

明日、余分に粘土を仕入れておくので
入荷次第、モデリング続きを実施いたします。










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粘土を追加してコテで均しました。
大体こんなイメージです。

実はご依頼のデザインはワークスタンクなので見本がありません。
画像だけなので立体的な情報はありません。
しかも、装着する機種とワークスタンクはフレームが異なりますので
タンクの底板とアッパーハーフは形状が矛盾するものです。
なんとか、これを辻褄の合うようにするための造形が必要なのでした。


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見本のRC500Mですが
タンクのマウント位置が上のフレームと違いますので
250の底板と500のアッパーハーフを合体させる作業です。

クレイモデルから樹脂型を取って
セメントの叩き台を制作してから
アルミ板金という段取りを取る予定です。

力仕事なので作業は骨折の治り方次第で進行するでしょう。

72年は私、小学5年生でモトクロスなんて単語も知らなかったと思います。
もちろん吉村太一さんもジョエル・ロベールも名前を聞いたのは何年も後です。
最近でこそ、J・ロベールはネイションズのベルギーチーム監督として、TVに写っただけで分かるようになりましたが、彼がチャンピオンだったころのマシーンとなれば記憶にないのはもちろん、画像だってインターネット見るようになってからのことです。
そんな72年型ワークスマシンの復刻をやろうというのですから驚きの企画です。そのうちのマフラーの部分だけ我社で作ることを頼まれているのですが、安易にお引き受けした結果、分からないことだらけで参りました。
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物を作るのに図面が無いんですから、お手上げです。
寸法も自分で決めてくれということですから無い知恵を絞って寸法決めていますので時間がかかってしまうのは仕方ありません。

数枚の画像から形状を推定して型を決めていますが、どうしても分からないアングルがあって確認したくてもできない、もどかしさ。

大体のシルエットは出来ていると思い込んで作るしかありません。
これで展開してみます。

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開いてしまえば単純な展開図ですが
この妥協点に至るまで時間が掛かってしまいました。
日程的に限界がありますので、これで製作に取り掛かりたいと思います。









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パイプ繋いで車体とのレイアウトを確認してみます。
これ以上寄せられないクリアランスで出来ています。
ダウンチャンバーをフレームギリギリに収めるために、このようなデザインになっていることを改めて気付かされます。
大体5mmクリアランスを目指して取り回ししています。
車体合わせでないと製作不可脳なシビアさです。



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マウントステーも溶接して固定しました。
あと5台作りますので、今月は日程に余裕がありません。
お急ぎの加工依頼、修理等には当分の間対応できませんので、ご了承ください。


東日本最大のビンテージMXイベントの模様を、私中心でありますが収録してあります。
初参加で雨、などという酷い仕打ちに耐えながら奮闘するコンマイおっさんの姿を観てやってください。


RM125は30年ぶり、2ストレーサー運転するのは8年ぶり、路面はマディという多重の不安要素の中、無謀にもチャレンジしましたが、全身ズブ濡れで涼しかったので、想像より快適に過ごせました。
来年、また行くか?と聞かれたら、来年違う事やってそうなのでお答えできません。
思えば、私が菅生へ走りに行くときはいつも大雨だったような気がします。
何故か?
あそこは著名な人だけでも4人死んでいます。
矢島金次郎さん、乗本周作さん、秀孝さんの息子、沙耶の兄貴、
志半ば無念の死だったと思いますが、あそこには献花の一つもありません。
コース側では危険のないように配慮したコース作りはしてこられたと思いますが、安全性にも限界があるでしょう。結局、乗り手の意識と運が決定することです。
私の場合は霊的な物が守ってきたということで、レース日に雨を降らせてスピードを遅くし、こけても柔らかい路面で怪我もしないようにしてくれているのだと思っています。
だから、あそこではいつも雨です。

くぬぎ山荘の前の道をロードコースが見えるところまで上がっていくと、高井幾次郎メモリアルがあります。
幾さんが転倒死亡したコーナーが見下ろせる位置に石碑が奉ってあるのです。
故人の功績を称えるとともに、いつまでも忘れないでいてあげることが大事なことだと感じます。

わざわざ民族の大移動のように混雑する時期に里帰りはしません。だから田舎の墓参りも行けません。
仕事の遅れも理由の一つですが、今年ばかりは自分の無能さを痛感することになりました。
どうやら高齢の親が危ない状態で、本来は子供が病院に連れていったり、付き添ったりするべきなのですが、埼玉に住んでいては不可能です。親の介護などという事態になれば仕事と両方は不可能でしょう。
仕事を取って親を見捨てるか、親の介護のため仕事を辞めるか、究極の選択を迫られているような気がしてなりません。
親としては、息子が定年退職したら実家に戻ってもらって面倒をみてもらおうと願っていたことでしょう。
ところが息子は定年退職するべき会社にも行っていない。仕事を辞めて親の介護に専念できる経済的な余裕もありません。
どうしたらよいものか、しばらく悩んでみることにします。

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今月のチャンバー作り
今までと違うことは、チャンバースペックがありません。
現品も見本もありません。
寸法が全くわからないことです。
テリー・グッドさんの画像だけを参考に複製するという前代未聞のやり方です。
だから型作りに難航しています。
兄弟車種と思われるTM250のパイプを作って仮止めしながら、画像と違う部分の形状を変更していくという作業ですが
型代1万円で1週間以上掛かっています。
製作代金は型が完成している前提の料金なので、ここ1週間は日当千円以下(材料、消耗品もここから払うので)で働いています。もっと早く作らないと倒産することになります。
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あと一日くらいで型作り完了するでしょう。
そのあとは二日に一台ペースで注文台数、一気に作っていきたいと思います。

それまではバックオーダーも、急な加工、修理依頼も一切受け付けできませんのでご了承ください。




いつまでもこの仕事できそうにありません。来年のいまごろどうしているか、全く予断の許さない状況であります。

伊予小松は私の地元、予讃本線の最寄駅です。田舎町なのでMX色は全くありません。
あのような町で地元企業に就職していたら絶対に無かったことです。
そんな幻のクラブ名でエントリーして見ました菅生のビンテージMXでした。
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一応イベントなので自前の古着を出してきて着てみました。

練習走行前なので汚れていませんが、この後全身泥まみれになります。

田んぼで泥かけあう「泥祭り」の風習にちかいものです。
雨対策はゴーグルレンズの撥水処理とエアクリーナーの水侵入対策だけしておきましたが、やはり台風接近の菅生ですから、甘い考えは吹き飛びました。

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一回乗ってくるとこんな感じですが
電装やキャブの問題もなく、RM125は優秀なモトクロッサーです。
運転手の腕が悪いのに快調に走ってくれます。
しかし、現行モトクロッサーのようにパワーがありませんので、パワーバンドをキープできなかったら深い泥につかまって進んでいきません。
年式の30年差というものは、これほど違うものかという体験も貴重なものでした。



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パドックを見て回るのも楽しいビンテージMX

TTさんとこのマシンは古さと美しさが目をみはります。
ハスラー90の初期型とやらですが
当時の90ccクラスに使ったキットパーツ装着しているそうです。
エンジンかけてもらったら排気音は現行のリッターバイク以上です。
音量規制なし!これもビンテージのよいところ。



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これもTTさんのハスラー250初期型だそうです。古いんだけど、さりげなく取り付いたスペシャルパーツたちによって非常にまとまりがいいです。
正統派の改造は近年のカスタムバイクの姿とは比較にならない崇高な感じがします。

このあと泥のコースへ惜しげもなく走り出していくのですが、運転手さんのテクニックも熟練したもので安定して周回を重ねられる姿をみて驚きました。



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ホーリーさんとこの展示車、無限ME360
今日納車だったのでしょうか。
これ乗るひと幸せですね。

ほんと一点でも部品が欠いても仕上がらない特殊車両を何台も作られて、頭の下がる思いです。
ここに世界標準を感じるのであります。






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第1レーススタート!
リンク付きや空冷の混走ですね。
まだまだ台数がそろわないので
完全クラス分けをするとレース成立しなくなりますので、
レース形式ですから結果にこだわるのは当たり前ですが、マシンの仕様やライダーの体力年齢が違うので、自分の物差しを持って走られるのがよろしいのではないかと思います。




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今日、このひと一番速かったですね。
89CR125で、黒字に3桁ゼッケンがAMAナショナルのような雰囲気でした。

水冷エンジン、前後ディスク車がこれからはビンテージMXで増殖してくるでしょう。








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セニアスポーツクラス、2ヒート走りました。
両方ともスタートはホールショットさせていただきましたが、2コーナーで直ぐに抜かれて
ヒート1はKYBジャンプ前のコーナーで転倒して最後尾からの追い上げ。

ヒート2も2コーナーで抜かれて、目標に無転倒を掲げていたのに、コース外に転落して自力で戻れずオフィシャルの方に助けていただいてゴールできましたが
パドックへ帰ったときは他のライダーは片付けが済んでいました。
積み込み完了したらパドックには誰もいませんでした。ゆっくり国道4号線を走り、家についたのは夜中の12時でした。


モトクロスは運動です。体を使ったスポーツだと捕らえています。現行車であろうと旧車であろうと、道具を使ってするスポーツはこれに限ったものではなくて、トライアスロンやマラソン、野球に体操に格闘技 etc、どれもあり得ない状況で闘うスポーツです。上位に昇るためには地獄の練習をしてくるのはどの競技も同じことです。嫌だと思えばやめておけばいいだけです。

30年ぶりに空冷ツインショックでマディーレース走った感想は、マディーを制するテクニックも体力もノービス時代と変わらんということです。30年やっても一緒、しかし、やってなかったらもっと駄目。
こういうことが分かった一日でした。


最終レース、セニアスポーツ ヒート2です。
路面コンディション悪化のため、ヒート1出走者半分くらい棄権で台数少ないです。

月日が経つのは早いもので、前後ドラムブレーキ車の整備を2014年にやることになろうとは20歳ころに想像できたでしょうか?
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前後ワイヤー式のブレーキなので、ワイヤーインジェクターの出番です。
この道具は30年前から使い続けています。

CRC556をブシューと噴射して
ケーブル内を浸透し
ワイヤーの反対側からCRCが噴出したときの気持ちよさ。
ノービスのころはレース毎にやっていたメンテナンスですが、やってないとライバルに負けてしまう気がしていました。
ブレーキパネルのグリースアップも同時に行います。

今週末はスポーツランド菅生でビンテージDEモトクロスがありますが
台風接近が予想されますので摺動部分のグリスアップは旧車にとっては重要な作業となります。
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破れたグリップラバーの補修にはシューズドクターを使います。
破れたグリップから泥が侵入してアクセルワークに支障が出ることを防ぐためです。
新しいブリップに交換すればいい、という考えはビンテージMXの分からない人ですね。
スズキの純正グリップを見て、触っていたいから補修しても使い続けたいのですよ。

高性能を求めたいなら新型車に乗ればいいだけのことです。

シューズドクターはプロのレストアでもご用達でダメになったゴム製品全般の再生、補修に使われている裏技です。


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雨でなくてもタイヤは重要です。エンジンやサスは騙しだまし乗れても、チビたタイヤ(西の方ではチビル、東では減る、と言います)
では上手く走らせることができません。
元々腕が悪いんですからタイヤのグリップ力に助けてもらうのはズルくないですよ。

フロントはIRCのIX07S現行のパターンですね。
リヤはDUNLOPのMX51ですが18インチなので選択肢は少ないです。
私的にはブロックの角があれば、どれでもOKです。

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あー、シートのセットボルトがギリギリ締まっています。

元々この位置だったか、シートベースが歪んで寸法が狂ってしまったか、わかりませんが
せっかくのフランジボルトなので座面全面が密着するようにしたいものです。

昔、走りながらシート落としたことがあって・・・
ボルトは締まっていたのですが、シートレールが折れてリヤフレームごと地面に落ちていました。

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これはー安直にセットプレートの穴を空けなおして、シートを前に1cmずらしました。

4点止めが2点止めになってしまいましたが
まあ大丈夫だと思います。

走行毎点検ということで、いつかシートスポンジ外す機会があれば、裏側のナットを移動することにします。




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シフトペダルのボルトを締めこんでも、セレーション部にガタがあってペダルストロークが大きく、フィーリングが悪かったのですが
そのまま放っておくとセレーションをナメることになってシフトシャフト交換になってしまうので、
ペダルの割り締めの隙間を大きくしたら
締めあがりました。

これで大丈夫。




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チャンバーに軽い凹みがあります。
実用上、問題ない程度ですが
凹んだチャンバーほどみっともないものはないです。

直しておきましょう。

通常は水圧をかけながらハンマーリングで直すところですが、加圧中に水漏れする部分がありましたので、あまり圧力は上げられませんでした。
やはり30年以上経過したチャンバーは接合部が弱ってきているようです。
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圧力不十分なので完璧には出来ませんでしたが、この程度で我慢しましょう。

いつかチャンバー製作してオリジナル品は保存しておくことにします。

軽く錆び落としして耐熱ペイントしておきました。

外観で分かるところですから、我慢できなかったんですよねー。

人生のパートナーがひとつ増えました。
私のモトクロス入門車は79年型RM125でした。渡辺明さんが78年に世界チャンピオン獲得した
マシンのレプリカとして79年に発売されたモデルです。
学生なので新車は買えなかったですが、地元MXチームの先輩から中古で譲ってもらったものです。
しかし、初心者だったのでオートバイの良し悪しも分からず、不満もなかったですが
未熟運転のため、ろくな戦績も残せずホンダ車に乗り換えて32年の歳月が流れました。
この間にいろいろなことを経験して、目をつぶれば苦労したこと、嬉しかったこと悔しかったこと、走馬灯のように思いだしました。
そして今回は入門車よりは1年古いモデルですが、78年型RM125に再会することができました。
提供してくださったのは、継続的に取引していただいているVMXワークスショップのホーリーエクイップさんです。
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きっかけはホーリーさんからの電話でした。
「オートバイ一台置くスペースありますか?」
一体どういうことか話を聞いていくうちに、どうやらこの古いモトクロッサーを有効に残していく場所がどこにあるかということを模索しての打診であったと思いました。
いろいろとやるべき事が多くてこれ以上仕事は増やせないなと思って、少し乗り気ではない返事をしていたのですが
徐じょに高齢化していく自分の身のことを考え、これからのモトクロスとの関わりも踏まえて旧車モトクロッサーに乗る事も必要であると考えました。


現代の製造業は電子制御の工作機械や無人のオートメーションによる大量生産方式が主流で、人の手によらない機械の性能によって物作りが行われる時代です。
その結果、どうなっていくかと言うと、人間の手先や経験による技術は失われていき、やがて高性能な機械が人間に取って変わる時代になるということ(既にそうなっている)。
そして、充分起こりうる自然災害によって電力が失われたときに製造業が無能力化してしまうことになります。(3年前に経験しました)
20年ほど前から会社を辞めて取り組んできたことは、機械設備に頼らないアナログ的なハンドワークの手法にこだわることです。
現在の市販モトクロッサーの技術開発の方向性は電子制御やサスペンションシステムの性能によって人間の運動能力を補うことであると考えられます。
その結果、同じライダーがラップタイムを短縮することが可能になりますが、ライダーの運転技術は向上したことにならないですね。
制御系を殆ど持たない70年代モトクロッサーを経験することがオフロードの運転技術を習得して体力維持、健康増進に役立つということを目的にビンテージMXやっていきたいと思います。

全日本MX関東大会のホンダブースにてついにベールを脱いだ、ホンダ初の2ストレーサーの復刻番です。
72年当時の原車は既に廃却され何も残って無かったそうで、これは再生車ではなく新造によるものだそうです。総製作費8千万円にも昇るプロジェクトの背景に何があったのでしょうか。
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335C復元を知ったときに、いよいよホンダもこの時期がきたのかと思いました。
20年前なら、このような提言をする社員はいなかったでしょう。
それは新機種の開発をして量産、販売することが命題の企業にとって過去の製品を再生するなどということが業務であるはずがないからです。

5年ほど前でしょうかTVで自動車メーカーマツダの取り組みを観ました。
現行のオートメーション化された自動車作りの中で昔では必要不可欠だった金属加工技術の技能者が失われつつあるということで、ベテランの技能者を指導員として、若手社員一人を現場から離職させて技能習得に専念させるという取り組みです。
マツダが危惧していることは、現在の加工技術者は設計データーを加工機に送信して動かすということが主流で直接ワーク(加工物)に触れることもなく製品が出来てくることによって技能者がいなくなってしまうことです。
そこで生産には全く必要ないですが、物作りの原点に戻って技術を伝承するということが、今回の335C復元プロジェクトにも共通する目的ではないかと思います。
これは会社の経営にとっては無駄なことのように思えますが、自分の勤めている会社の歴史を特に開発に関わる人間が知らないで業務に携わっていることが、これからの新機種開発においても創作センスという点に於いて弱体であると、上層部の人が感じてきたのだろうと推測します。
だから一見利益にならないプロジェクトにも多額の予算がつぎ込めたと思います。
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完成した335Cは中古品一切なし、新車の72年型ワークスマシンです。

このようなことは私の知る限りでは世界的にはじめての試みでないかと思います。

その甲斐あってか昼休みのOFVメインストレートでのデモ走行の人集りは
初の4ストモトクロッサーYZ400展示のときを凌いでいました。

人は自分で買えるものより、絶対手に入らないものに強い憧れと尊敬の念を持つのかもしれません。

問題は技術の伝承や体験が目的ということですから、これを継続していかないと一過性のものに終わってしまうことになることです。次回の復元プロジェクトは果たして行われるでしょうか、今後に期待したいと思います。
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経験者の高齢化はいやでも進みます。
製作スタッフもレースで戦ったライダーも同様です。
実際に初優勝した伝説のライダー吉村太一さんがコスチュームも当時に似せて復元された335Cに乗車しました。
インタビューに対して
「めちゃめちゃ調子ええ!これなら今日のレースも勝てるわ。」とユーモア交じりでコメントされてはりました。

72年は今年51歳になる私でも小学5年生、勿論モトクロスなんか知りません。
これが分かる観客の多さにレース会場の高齢化が進んでいることが伺えます。
そういえばレース走っているライダーが若いのは当たり前なんですが、中高生が自転車やバスに乗って観戦にきてる様子が全く感じられません。若者の人気スポーツではないのだということを意味しています。メーカーさんはどのようにお考えでしょうか。

少し思い出したことがあって、私なりの会社観を述べたいと思います。
ホンダという会社は良いところと悪いところ両方がありました。
良いところとは、社員一人一人に仕事を任せること。逆に言うと教えないし出来ないやらない人は放っておかれる。その結果、人事面で評価を受けるということ。(昇給や他の職場へ飛ばされる)
悪いところは、他部門との連携が悪い、繋がりが少ないこと。専門性が高く研究部門では大学の工学部より高度な専門知識を持ちながら、現場経験がないので活用の仕方を知らないなど。
全ての部門で当てはまるわけではないですが、会社組織が大き過ぎて管理職の人でも他部門のことは詳しくないということです。
2輪と4輪なんか設備や経験を共有しようとしないし、まるで別会社のように分かれています。
それぞれ機密事項もありますし、プライドもあるので事業所間で情報交換などありえません。
そんな大会社ですが2輪R&Dでは技術の習得、体験などという名目で給料貰いながら教育を受けられるという余裕があるのです。
そういう職場に配属された社員は幸運といえるでしょう。
普通、経験や学習というものは自分の金と時間を使わなければ得られませんからね。
私の所属した部署の上司はこう言いました「仕事は自分でやっていてはダメだ、いかに人にやらせるかということを考えろ」
これを聞いたら、今の自分なら「仕事を自分で抱えていないで、関係部門と連携して円滑に運べ」というふうに解釈できるのですが、若かったそのころは、自分で出来ないことを人にやらせるなどということは能力のない奴のすることだと思い込んでいました。
ホンダは大きい組織なので分業が基本です。だから自分の担当のことだけできれば充分なのですが、下請けの部品メーカーはそうではありませんでした。
上に立つ者は担当する職場の全てを分かった人が就いていました。即ち製造部長や品質課長は、どの部下より経験と技術を持った人と決まっていました。
ところがホンダの体質として末端の業務は所属長が出来る必要がありません。管理職は出世コースの人が就きますので数年で別の部署へ移動していくのが慣例なのです。
そんな会社の体質が分かってきたころに「自分で出来る必要がない」と言った上司の元では働くわけにはいかない、希望の職種に移動が通らないのであれば会社を辞めるしかない。
辞めないのであれば、生活のため上司の言うことを聞いて定年まで我慢しろということです。
私の信念は自分の技術で仕事ができないのであれば職を辞して自分でやる、ということだったのです。
実行しない信念はウソと同じですから会社を辞めたという経緯です。
2輪R&Dのような給料もらいながら技術の体験、習得ができる職場でしたら、もっと長く会社勤めしていたと思いますが、上司の軽い一言が部下の人生を左右することもあるということを言いたいです。



335Cについて少しだけ知ったのは、最近の話で雑誌読んだだけの知識でした。
現役時代は、勿論知らなかったし興味もありませんでしたが
2ストエンジンの製造を宗一郎さんから禁止されていて、朝霞のメンバーで極秘に行われていたこと
実戦初レースはエキスパートジュニアの松浦(ウイリー)さんだったこと
最初のエンジンはスズキRAがそのまま流用できたなど、現在のモータースポーツ体制から比較すると
黎明期であったことが想像されます。

ホンダ広報部によるPRビデオだと思いますが、元社員でありながら初めてみました。
1972年吉村太一さんによる335Cデビューから第3戦初優勝までの記録

私個人的には四国選手権デビューした松山オートテックの映像が第2戦に収録されていることが大変うれしいです。コースレイアウトは全く同じですからあのころを思い出しますね。

今の若いライダーが見ても何がいいんだか分からんでしょうね。あの時代に生きていたこと、ピーキーなエンジン特性でストロークの少ないサスペンションでコース整備もしてない路面をハイスピードで走っていくセニアクラス(年寄りじゃないよ)の走りは圧巻です。

これを見て吉村太一さんのファンにならない人はいないんじゃないかな。

長期滞留車集中業務、去年12月から第5弾になります。

今回はワンオフではなく10台ロットの生産になりますので、終了まで当分の間新規ご注文はお引き受けできません。

何故10台かと想像するに、35年前に生産されたCR250(機種コード430)がビンテージMXとしては世界中で最も保有台数が多いらしく、当然純正パーツは絶販で

チャンバーなどという薄板の板金部品は相当腐食して実用に耐えない状態のものが多いと推測します。そこで絶販のチャンバーが新品購入できるとなると、喜ぶビンテージマニアも少なからずおられるのではないかということで複製に挑みました。

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販売は全面的にホーリーさんになりますので、個人的に頼まれてもお作りすることはできません。

それはこの商品を企画し、原車提供していただいておりますので、その轍を踏まない方の依頼は430に限らず不可能であることを申しあげておきます。

パイプのレイアウトが一部出来上がってきました。

あと一日くらいで全体が見えてくると思います。

 

 

えー、上の状態は昨日昼ころで、次の画像は今日の午前中、歯医者へ行ってから昼前の状態です。

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パイプは一通り繋がりましたね。

サイドカバー付けて、構成部品の隙間等チェックして、マウントブラケットやスプリングフックを付ければ完成です。

 

ワンオフではないので複数作ったときの同一性を検証しなければなりませんが、このあと数個作ってみて比較してチェック項目を決めていきます。

 

 

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パイプの成形も基本的にハンドワークなので、均一なパイプを作るのは職人の手加減にかかっているところが、一般的な工業製品と違うところです。

従って外国に出回って模倣されようとしても、同じ努力をしなければ出来ないはずなので、作ることのしんどさに耐えられる人間でなければ無理でしょう。

 

 

 

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サイドカバー付けてみて焦りました。

隙間ギリギリなんです。

図ったわけではないですが運がいいだけですね。

ノーマルも同じような隙間だったのでパイプ作りの精度が間違っていなかったといえるでしょう。

5個くらい作って形状が安定していることを確認してから、取り付け治具を作成して車体なしで受注生産できる体制にする予定です。

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元英国皇太子妃ダイアナさん2回目の来日のときでした。90年11月(29才)

当日の朝まで訪問されるVIPの名前は極秘扱いでしたが、自動車の製造現場に王室の方が来られることは非常に異例だと思います。

これも、英国人が自動車の文化に親しみがあり、モータースポーツにも理解が深いことを表している証拠です。皇太子妃をお迎えするために、ホンダエンジン搭載した英国コンストラクター、マクラーレンのレースカーと出来上がったばかりの新型車NSXを、工場の中庭に展示していました。

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これほど貴賓に満ちた女性を見たことがありません。

これから油まみれの機械と部品がひしめいた製造ラインへ視察に入られたのですが、自動車の華やかな部分だけではなく組み立ての過程に興味をもたれたところに、好奇心旺盛なダイアナさんらしさを垣間見ることができます。

これは貿易とか商売の目的ではなく、彼女個人の遊び心と日英友好の標であったと思います。

こんな自動車好きの国民性ですから国内のいたるところにサーッキットがあり、オフロードコースやダートトラックならどこの町にもあるくらいモータースポーツも浸透しています。戦時中の首相チャーチルさんの住居、ブレナム宮殿の敷地内でWRCラリーを開催したとか、アイルランドのマン島では島中の公道を封鎖してTTレースを開催しても何の問題もない国ですから、モトクロスのネイションズを開催するのに、国有か個人所有かわかりませんがお城の敷地を解放して、世界中の元トップライダーを集めてベテランズ版ネイションズも開催しています。

ジェフ・スタントンを追うジェームズ・ダブの迫力あるシーンが7:00あたりで見られます。モトクロス通の人なら他にもお気に入りライダーが見つかるでしょう。

ここのすごいところは、80年90年代のビンテージマシンが当時のようなワークス体制で参戦しているところで、デビッド・ソープやジェフ・スタントンなど英米のチャンピオンライダーの走りもすごいですが、マシンのコンディションも万全体制で車両みるだけでも楽しめそうです。確かこのコースは80年代にWGPで使った場所ですね。エリック・ゲボスが500ccで走っていたころビデオ鑑賞した覚えがあります。

'>動画の最後の部分にあるダニーMAGOOチャンドラーのメモリアルを見て改めて感動しました。

82年ドイツで250cc、83年スイスで500ccに乗って、全てのヒートで1位という、ネイションズ史上パーフェクトモトフィニッシュを決めた唯一人のライダーということで表彰されています。

チャンドラーさんは去年亡くなられましたが、私には忘れない記憶があります。狭山工場に配属されて最初に栃木のテストコースへ出張したときに宇都宮駅前に会社のバスが向かえに来るのですが、バス停で待っていたチャンドラーとジョニー・オーと一緒にバスに乗っていったことです。こんな世界で一流のライダーの隣に座っていくなどという、他愛無いできごとですが運命を感じます。

スズキRMの前のモデルはTMという名称でした。昭和38年生まれの私でさえ乗ったことがありません。

エンジンや車体はほぼハスラー250ではないかと思います。ハスラー90は持ってましたけど、何処へやってしまったかさえ覚えていない遠い昔のことになってしまいました。

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さて今回の製作依頼はTM250のチャンバーです。下に置かれた純正品が老朽化のため新作することになりました。

当時のレーサーはサイレンサーもありませんが、テールパイプにスプリングフックは付いているので

オプションでサイレンサーを装着できたのでしょう。

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潰れたノーマルチャンバーを元に採寸して製作したニューチャンバー。

 

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口元フランジも絶版ということで、新作し、ニューチャンバーとセットになります。

採寸した諸元はこのようにガバリを作成して鉄板に罫書いて製作します。

IMG_0695.JPGそして、オプションのサイレンサーも取り付けました。

 

レストア中のこのマシン、クランクケースもOH中なので内部が確認できますが

これはプライマリーキックではないことが分ります。

最近のオートバイは全てプライマリーが当たり前になっていて、ギヤが入っていてもクラッチを切ってエンジン始動ができる構造になっています。

それはキックギヤとクラッチアウターのギヤの間にプライマリーギヤが存在してメインシャフトの連結をクラッチで解除しながらクランクギヤを回せることで、ギヤが入っていても始動できるわけです。

しかしTMにはプライマリーギヤの軸穴が存在しないことが右ケースを見れば分ります。

キックギヤとカウンターシャフトのギヤが直結の構造です。

即ち、ギヤをニュートラルにしてからキック始動できたということです。

ギヤが入っていれば押しがけはできますから、ロードレースでも押しがけスタートが主流でした。

モトクロスでは、今のようなスターティングマシンは無く、エンジンを止めた状態でオフィシャルの日章旗を振る合図でキックスタートでレースしていました。

当然、右足でキックして、左足でギヤを入れてスタートするわけですから、予めギヤをいれてキックできるプライマリー車の方がスタートが優位だったわけです。

古いマシンを乗っている人を見て、「新型のマシンの方がいいよね」という人がいますが

これは古い名作映画を観たり、懐かしい歌謡曲を聴いたりするのと似ていると思うのです。

新型が性能がいいのは当たり前、いつまでも自分の青春時代のマシンを楽しんでいたいという欲求があることを非常に理解できます。

このダウンチャンバーのリバイバルは口元フランジとサイレンサーも新作で3台分同時に、しかも前金で依頼されていますので、他の仕掛かり業務も含めて8月中に急な依頼がありましてもお引き受けできませんのでご了承ください。

1980年香川県丸亀市の特設会場。瀬戸大橋もまだ出来てないころ

学生だった私は四国選手権でこのコースを走った覚えがある。

同年の全日本も日曜だけ観戦した。

当時はA級のレースは土曜日125クラス40分+2周2ヒート、日曜日250クラス40分プラス2周2ヒート。日本のMX史上最強のレース内容だったのではないか。

日曜の朝、会場に着いたら海岸のパドックにゼッケン#3福本車のRC125が優勝したということで展示されていたのを鮮明に覚えている。

23歳の東福寺さんが#7でヤマハファクトリーなんて今モトクロス観にきている人はどれだけ知っているんだろうか?

丸亀製麺で懐かしい貴重な記事を見つけたので勝手に拝借です。

私がモトクロスを始めたきっかけは渡辺明という世界チャンピオンの存在を知ったことです。

78年チャンピオン獲得マシンと同じ仕様の市販モトクロッサーが79年式RM125です。

私が四国選手権ノービスにデビューしたのも同マシンですから、30年も経って再会し、しかもそのチャンバーを復刻することになろうとは想像していませんでした。

何はともあれ、懐かしのマシン

丹精こめて作らせていただきました。

もちろん依頼されたオーナーさんのためのワンオフ製作です。 IMG_0107.JPG IMG_0105.JPG

綺麗にレストアされたCR125、機種番号444。鉄騎兵跳んだモデル

全塗装に再めっきで新品シートレザー、新品プラスチックパーツ、アルミタンクは純正品をワークスもどきに追加工したスペシャル。リヤショックは懐かしいFOX製エアショックだ。

ご注文はチャンバーとサイレンサー。純正スペックを復刻したオリジナル製作、サイレンサーはノーマルがスチールのところオールアルミでスペシャル仕様に変更した。

生産台数2台のワンオフ(ツーオフ?)マフラーの完成です。

これでオーナーさんは今年のVMXに参戦する模様。IMG_0265.JPG

アルミタンクはワークスモトクロッサーだけの物ではない。70年代後半までは量産車がアルミタンクだったのに、大物は金型でプレス成形されるが、溶接などハンドワークの部分に熟練が必要なため、生産性のよいプラスチックタンクへと変更されていったのだ。 昨今のビンテージオフロードの盛り上がりで70年代後期のレーサーもレストアされレースに参加する台数も増えてきた。ところが30年も前のプラスチックはどうしても劣化が進み、軽い衝撃でも割れてしまって、ガソリンが漏れてしまうのだ。接着材で補修しても耐ガソリン性のものはなくて使い物にならない。塗装しても揮発するガスで塗膜が剥がれてしまう。 そんな悩みを解決するためにアルミタンクを製作することにした。タンク専門の会社に依頼すると、量産とそっくりな形状の品物ができるが、必要なモデル代、金型代、を負担した上に製作費がかかるので、すくなくとも35万円は かかるらしいが、お客さんの依頼は1個だけなのでそのような金額では諦めてしまうだろう。今回はプレス成形を行なわない方法、アルミ板から叩き出す板金手法で作ったタンクだ。 全体のデザインを決めるアッパーハーフをハンマーで叩きながらカーブをつけていく。見本と見比べながら感を頼りに曲げていくのだ。一枚板では不可能なので、要所要所分割して成形して溶接で組みたてていく。フレームに組みつけるロアーハーフも車体に取り付け確認をしながら成形していく。アッパーとロアーを接合する前に形状を整えないと、後からでは叩けないのだ。溶接が全て終了したら、水を満タンに入れて洩れがないか確認する。エアーを入れて水没させる方法もあるが、加圧してタンクが膨らんでしまうことがあるので、水を入れた方が安心なのだ。これでプロの塗装を施せば、アルミ製の複製タンクであることはよく観察しないと気がつかないだろう。 アルミタンクはけしてワークスチームだけのものではない、むしろ庶民的な旧車マニアのためにあるのだ。