泣く子もだまる(そんなわけない)国際B級(掃いて捨てるほどいる)時代の私。
マシンは我社(前の勤め先)で製造したCR250R、88モデル
コースは成田エアポートMXランド。
ジュニア時代、87年全日本MX第1戦桶川大会の予選1組。
マディーの予選を制したのは私。最も勢いのあった頃だった。
スタートを正面から見た様子。既に1コーナーへ向けて最短コースへ加速している。
マディでトラクションさせる能力に秀でていたに違いない。
ジュニア125クラス決勝は残念ながら転倒で16位に終わってしまったが
MXキャリアの中で最も充実していた時期なので忘れることはできない。
狭山レーシングのエース、井本敬介選手。87年は国際A級2年目
この年の前期は全員125ccでのレースだった。
朝霞研究所、第2研究ブロック操安グループに席を置き後にCRFシリーズの開発責任者になられた。
奥にチームグリーンの岡部篤史、長沼朝之、隣に無限の鶴田忍の姿が見える。
市販CRでワークスライダーに引けをとらない堂々とした走りだった。
井本氏の指導がなければ私の国際B昇格も無かったかもしれない。
84年関東選手権、予選10組時代。あの頃はとにかく必死だった。
予選を通過しないことには決勝は走れぬ。
あの頃の経験があったからこそ、今の自分がある。モトクロス最高!
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