レストア界の最高権威、小林さんから溶接肉盛りを頼まれたケースカバー。
左ケースと思いますが、車種が分らない私が質問しましたら、ホンダSAだとおっしゃいました。1955年製の同車種ですが、最近まで実動で、イタリアで開催された2000kmのラリーを完走して年代別クラスで入賞したマシンだそうです。
ヨーロッパの旧車レースは日本とは比較にならない人気とレベルの高さが予想されます。
自分を育ててもらった会社のマシンですから、恥ずかしながら調べてみましたら、これがホンダの2輪車の歴史上重要な役割を担ったマシンであることがわかりました。
ホンダコレクションホールの展示車画像から拝借しました。
たしかにこの車両の左ケースが同じ形状を呈しています。
これがホンダ初の4ストエンジン、OHC単気筒250ccです。
本田宗一郎さん直々の設計で、夢の4ストロークエンジンが完成したので、ドリームという車名を与えた最初のマシンです。
製造された1955年にレースに出場しています。日本にサーキットが無かった時代で
7月に第3回富士登山レースで250ccクラス優勝。11月の第1回浅間火山レースで250ccクラス2位入賞という快挙。因みにこのレースの優勝はライラックに乗る伝説のレーサー伊藤史郎でした。
修理内容は、オイルドレンに亀裂が発生したため溶接肉盛りをすることです。
古いダイキャストですから表面を少し削って地金を出す必要があります。
酸化皮膜が溶接不良を引き起こすためです。アルミの溶接は交流TIGを使いますが、交流は極性が+ー交互に流れる高周波です。+イオンを衝突させ酸化皮膜を除去しながらー電子でアルミを溶かします。この酸化皮膜が強固な場合、除去できずに上手く溶けてくれないため、予め削っておくことが必要です。
内側もこの通り一皮剥いて、浸み込んだオイルの脱脂も行います。
ネジ穴の内側から溶かすように溶接棒で埋めてしまいます。
ここに新たなネジ穴とボルト座面を加工するのですが、私の仕事はここまで
続きは小林さんのレストア工房の加工機で行います。
サンドブラストで全体を美しく仕上げて、消耗部品も新品交換して組み上げますので、新車同様のコンディションになるでしょう。
小林さんは、ホンダのワークスレーサー、ダブルプロリンクや2気筒RCなどの開発を勤め、オートマチックRC時代のHRC監督でしたが、その後、会社命令でコレクションホールの立ち上げを任され、茂木の展示車両は同氏の作品であります。
英国バーミンガムのモーターサイクルミュージアムも見た事がありますが、展示台数は多いですが、旧車のコンディションは悪かったと思います。それに比べて、茂木のコレクションホールは全車動態保存で外観も新車同様、F1やMotoGPの歴代チャンピオンマシンも保有していることで、間違いなく世界一の2輪4輪博物館であると同時にホンダの偉業を実物で感じ取れる、後世に伝えたい異空間であることを申し上げておきます。
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