全日本MX関東大会のホンダブースにてついにベールを脱いだ、ホンダ初の2ストレーサーの復刻番です。
72年当時の原車は既に廃却され何も残って無かったそうで、これは再生車ではなく新造によるものだそうです。総製作費8千万円にも昇るプロジェクトの背景に何があったのでしょうか。
335C復元を知ったときに、いよいよホンダもこの時期がきたのかと思いました。
20年前なら、このような提言をする社員はいなかったでしょう。
それは新機種の開発をして量産、販売することが命題の企業にとって過去の製品を再生するなどということが業務であるはずがないからです。
5年ほど前でしょうかTVで自動車メーカーマツダの取り組みを観ました。
現行のオートメーション化された自動車作りの中で昔では必要不可欠だった金属加工技術の技能者が失われつつあるということで、ベテランの技能者を指導員として、若手社員一人を現場から離職させて技能習得に専念させるという取り組みです。
マツダが危惧していることは、現在の加工技術者は設計データーを加工機に送信して動かすということが主流で直接ワーク(加工物)に触れることもなく製品が出来てくることによって技能者がいなくなってしまうことです。
そこで生産には全く必要ないですが、物作りの原点に戻って技術を伝承するということが、今回の335C復元プロジェクトにも共通する目的ではないかと思います。
これは会社の経営にとっては無駄なことのように思えますが、自分の勤めている会社の歴史を特に開発に関わる人間が知らないで業務に携わっていることが、これからの新機種開発においても創作センスという点に於いて弱体であると、上層部の人が感じてきたのだろうと推測します。
だから一見利益にならないプロジェクトにも多額の予算がつぎ込めたと思います。
完成した335Cは中古品一切なし、新車の72年型ワークスマシンです。
このようなことは私の知る限りでは世界的にはじめての試みでないかと思います。
その甲斐あってか昼休みのOFVメインストレートでのデモ走行の人集りは
初の4ストモトクロッサーYZ400展示のときを凌いでいました。
人は自分で買えるものより、絶対手に入らないものに強い憧れと尊敬の念を持つのかもしれません。
問題は技術の伝承や体験が目的ということですから、これを継続していかないと一過性のものに終わってしまうことになることです。次回の復元プロジェクトは果たして行われるでしょうか、今後に期待したいと思います。
経験者の高齢化はいやでも進みます。
製作スタッフもレースで戦ったライダーも同様です。
実際に初優勝した伝説のライダー吉村太一さんがコスチュームも当時に似せて復元された335Cに乗車しました。
インタビューに対して
「めちゃめちゃ調子ええ!これなら今日のレースも勝てるわ。」とユーモア交じりでコメントされてはりました。
72年は今年51歳になる私でも小学5年生、勿論モトクロスなんか知りません。
これが分かる観客の多さにレース会場の高齢化が進んでいることが伺えます。
そういえばレース走っているライダーが若いのは当たり前なんですが、中高生が自転車やバスに乗って観戦にきてる様子が全く感じられません。若者の人気スポーツではないのだということを意味しています。メーカーさんはどのようにお考えでしょうか。
少し思い出したことがあって、私なりの会社観を述べたいと思います。
ホンダという会社は良いところと悪いところ両方がありました。
良いところとは、社員一人一人に仕事を任せること。逆に言うと教えないし出来ないやらない人は放っておかれる。その結果、人事面で評価を受けるということ。(昇給や他の職場へ飛ばされる)
悪いところは、他部門との連携が悪い、繋がりが少ないこと。専門性が高く研究部門では大学の工学部より高度な専門知識を持ちながら、現場経験がないので活用の仕方を知らないなど。
全ての部門で当てはまるわけではないですが、会社組織が大き過ぎて管理職の人でも他部門のことは詳しくないということです。
2輪と4輪なんか設備や経験を共有しようとしないし、まるで別会社のように分かれています。
それぞれ機密事項もありますし、プライドもあるので事業所間で情報交換などありえません。
そんな大会社ですが2輪R&Dでは技術の習得、体験などという名目で給料貰いながら教育を受けられるという余裕があるのです。
そういう職場に配属された社員は幸運といえるでしょう。
普通、経験や学習というものは自分の金と時間を使わなければ得られませんからね。
私の所属した部署の上司はこう言いました「仕事は自分でやっていてはダメだ、いかに人にやらせるかということを考えろ」
これを聞いたら、今の自分なら「仕事を自分で抱えていないで、関係部門と連携して円滑に運べ」というふうに解釈できるのですが、若かったそのころは、自分で出来ないことを人にやらせるなどということは能力のない奴のすることだと思い込んでいました。
ホンダは大きい組織なので分業が基本です。だから自分の担当のことだけできれば充分なのですが、下請けの部品メーカーはそうではありませんでした。
上に立つ者は担当する職場の全てを分かった人が就いていました。即ち製造部長や品質課長は、どの部下より経験と技術を持った人と決まっていました。
ところがホンダの体質として末端の業務は所属長が出来る必要がありません。管理職は出世コースの人が就きますので数年で別の部署へ移動していくのが慣例なのです。
そんな会社の体質が分かってきたころに「自分で出来る必要がない」と言った上司の元では働くわけにはいかない、希望の職種に移動が通らないのであれば会社を辞めるしかない。
辞めないのであれば、生活のため上司の言うことを聞いて定年まで我慢しろということです。
私の信念は自分の技術で仕事ができないのであれば職を辞して自分でやる、ということだったのです。
実行しない信念はウソと同じですから会社を辞めたという経緯です。
2輪R&Dのような給料もらいながら技術の体験、習得ができる職場でしたら、もっと長く会社勤めしていたと思いますが、上司の軽い一言が部下の人生を左右することもあるということを言いたいです。
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