謡曲「鉢の木」に出てくる台詞。中高年層しか知らないらしいです。
鎌倉時代に群馬の貧乏武士、佐野源左衛門常世が旅の僧に大事な鉢植えを焚き火にしてもてなした後、幕府から鎌倉へ召集され出迎えた将軍北条時頼が旅の僧だったというストーリー。
一大事のときは何をおいても鎌倉へ参じるという意味の言葉ですが
オレもちょっとやってみたかった。
朝出発したアクティーが入間市あたりでファンベルトが切れてレッカーで鶴ヶ島まで逆戻りというアクシデントから始まりましたが、サンバーに乗り換えて10時過ぎに再出発しました。
すると昼頃には江ノ島に着いているという早さです。
圏央道が茅ヶ崎まで開通していたおかげで、昔は半日掛りの移動だったのが今では1時間半です。
便利になったなー、と驚きながら江ノ島の駐車場に突っ込んで、藤沢駅から江ノ電に乗って移動です。
最初の目的はもちろん大仏です。今日は全部初めて見るものばかりですが、鎌倉の大仏を見ないで死ぬわけにいかぬ、ということで。
私が冶金学の分野に接していなかったらこれほど興味を抱かなかったと思います。
それは、この仏像が青銅(ブロンズ)の鋳造を製法としてること。
1200年代ですから千年ほど前の鋳造技術がどれほど高度なものだったか。
特に大仏の胎内拝観が鋳造法案の推定を可能にしているので、長年謎に思っていた部分が解き明かされた気分になりました。
坐像高さ11.79m 土台修復時にジャッキアップして実測した重量が121トンということです。他に例をみない巨大鋳造品です。
釣鐘の鋳造は粘土の鋳型に青銅を鋳込む
重力鋳造ですが、大仏はそれとは違った技法を用いていると思います。
それは巨大さゆえ、一体の鋳型が作れないということ。
青銅の溶解の量にも限りがあるので、継ぎ足し継ぎ足し鋳造されていること。
推定30回くらいに分けて鋳造されたとするなら、一回に溶解された青銅は約4トン。
これだけの溶解をできる炉の構造はどうだったか。
銅の融点1083°ですが錫を添加することで800°程度まで下げられるということですが巨大な石釜に薪をガンガン炊いて溶解したと思います。
青銅だけで4トンにもなる溶湯を持ち上げるクレーンがあるわけじゃないので、湯口より高いところに溶解炉を置くために、鋳造毎に盛り土をしていたであろう。
高徳院敷地内の地質調査で地層に関係ない大量の土が発見されたことで証明されています。
では鋳型の構造はどうであったか。
鋳造を継ぎ足しするということは、完全に湯境いという欠陥になります。
冷え固まった金属に溶湯を鋳込んでも溶け合ったりしないわけです。
結合が弱ければ鋳型を壊した瞬間に像が崩れることでしょう。
鎌倉時代の鋳物師は、そういうことも分かっていて分割された型の繋ぎにカギ型のアンダーカット形状をこしらえて、機械的結合にしたようです。その様子は胎内拝観で観察することができます。
内部はこのように型が分割されて構成された跡が見てとれます。
着物のひだが内側にも造形されていることから、鋳物の厚みはそれほどではないと推測できます。
私の想像では3cm前後、屋根瓦くらいのものだと思います。
そして、内側と外側の鋳型の材質は木材だったのではないでしょうか。
これくらいの厚みの800°くらいの青銅を鋳込んだとしても木材表面が焦げているうちに凝固するだろうと思います。
また鋳型が動かないように粘土などでバックアップしていれば冷却効率も上がるはずです。
木材の鋳型の理由は、あくまで自論ですが鋳鉄ほど融点が高くないので砂型でなくても燃えないということ、彫刻の仕上がりがそのまま鋳肌になっていること。
そして、原型があったとしても砂型鋳造のような型抜きが不可能なこと。
とんでもない勘違いしているかもしれないので、知っている人がいらっしゃれば、お教えください。
第2目的地 鶴岡八幡宮
江ノ電に乗って鎌倉駅降りたら直ぐに参道が始まります。
征夷大将軍 源頼朝が1208年に神宮寺創建の神社です。
三大幕府最初の場所ですから日本人として
ここへ来ないで死ぬわけにはなりませぬ。
なんか最近神社仏閣めぐりが趣味になりつつあります。
単純に楽しいです。
美しいねー
そして昔、日本の中心だった場所。
災害や戦争にあっても豪華絢爛な雄姿を
残してくれたことに感謝します。
歴史を知ることと美術的な観点を持つという両方の意味で国宝、史跡めぐりは人生に深みを与えてくれる気がします。
お、CB350先輩! 72年くらいのですか?
古都鎌倉に完全に溶け込んでいます。
海が近いので錆には厳しいですが
実働のようなので貴重な存在に見えました。
(71年型 CL350K が正しかった
特徴はスクランブラータイプのハンドルと
左2本出しアップマフラーです。)
平日にも関わらず人多いです。
これでは土日ここに来るのは大変なことでしょう。
駐車場空いてないし、道路は渋滞、電車は満員ですから。
天気予報のレポートとかによく使われるロケーションですが、江戸時代の浮世絵にも描かれている超有名スポットなんで
愛媛の山育ちのオレからすると羨望の眼差しです。
知らなかった江ノ島の事実。
神社やお店もたくさんあって驚きですが
民家も結構建っているのが意外でした。
しかし周囲はむき出しの自然。
この絶景の場所に住みたいという気持ちもよく分かります。
田舎のすばらしいところは人間が開発していないところにあるんです。
でも、ここは田舎じゃない不思議な場所です。
馬鹿は高いとこが好き、オレも例外じゃない。
展望灯台に上がってみました。
江ノ島が島で無くなる瞬間。
干潮のときに砂浜が現れて陸続きになります。
浮世絵でも砂浜を歩いて渡る庶民の様子が描かれています。
浜は海水浴で有名な片瀬海岸
ヨットハーバーは東京オリンピックでヨット競技に使用された場所。
対岸はサーフィンのメッカ、稲村ヶ崎
逗子、鎌倉と一望できます。
先端は毎年行っている城ヶ崎なのかな。
ここは訳ありそうなアベックばっかりです。(殆ど手つないでる)
複雑な人間模様あるんですね。
日が暮れてからR134をサンバーで流しながら、横浜横須賀道路へ合流し、R16経由して帰りましたが、平日のためか道路空いていて3時間くらいで帰宅できました。 フゥー
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