2017年7月アーカイブ

発売から40年経つGLのフルエキゾースト製作頼まれました。
全く経験のない車種なので、最初の工程からお見せします。

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エキパイの曲げからですが
機械ベンダーはありませんので
手間げで作ります。

曲げられるカーブに制限がありますので
可能かどうか、鉄パイプでマスターを作ります。
鉄で曲がらないものはチタンでも曲りませんからね。

3次元曲げなので曲げながら車体合わせすることはできませんので
マスターと比較しながら曲げカーブを調整していく作業です。


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チタンパイプで本番です。
2mで1万円しますので失敗は許されないですね。
内Rのゲージを鉄棒で作って当てがいながら曲げRを確認します。

ここでパイプの精度が決まってしまうのですが力ではなく炙り加減が肝心なのかと思います。







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R、Lエキパイ曲がりました。
L側エキパイが20mm長いです。

正確にはパイプエンドは同じ位置で
L側フランジが20mm前です。

これはV型エンジンなので、コンロッド大端部の幅だけLシリンダーが前にある設計なんです。

Vバンクは77°
1本のクランクピンにコンロッドが連結されていますので、点火時期は77°ずれています。2番シリンダが点火してから283°クランクが回って1番シリンダが点火というタイミングです。
では水平対向4気筒のGL1000はというと180°クランクです。
1本のクランクシャフトに180°ずれたクランクピンが二つあり、やはりコンロッド一本の幅だけL側シリンダーが前にあります。片側のシリンダーに180°クランクのピストンが並列2気筒で動き
反対側のシリンダーがコンロッド幅だけ前後にずれて並列2気筒の動きをするボクサーエンジンでした。


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フランジできました。

これが決まってないと次の工程へ進めません。
口元が1度傾くとパイプエンドの位置は数センチ違ってくるので
フランジを固定してから中間ジョイントのレイアウトを検討する作業になります。



4型(78年)RM125ですが、去年ドライブスプロケット摩耗でチェーン脱落しました。
純正のスプロケットを調べたら、ナメてしまったのは13Tでしたが標準は14Tということが
判りました。
当然ドリブンスプロケットも違っていたので、この際標準にして乗ってみようというのが
問題の始まりでした。
この車両は4型だと鵜呑みにしていたので、78年の標準で59T(在庫一個限り)を注文してみたら
ハブ取り付け部が全然違っていて使えません。
どうやら3型以前のリヤホイールが取り付けられているようです。
それならば3型の59Tを注文しようとしましたが在庫が無く、海外お取り寄せなら可能だということですが
スプロケットごとき、作ってしまえという考えにいたりました。


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部品メーカーならCNC加工で作るところですが
当方には加工機がありませんので
フライスと旋盤だけで加工します。

A7075の板を取り寄せましたが
t8しかありませんので

スプロケットの板厚t7.3になるように
切削しています。(428サイズ)

3型のハブ穴は予め加工しておいて
ハブセンター基準で外周とピッチ円周上に
59個の下穴を空けておきます。



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刃先を加工しますが
これはバイトがビビッてダメでした。

大体の形状はできたので、後で修正します。











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刃先の形状を整えます。

正確なピッチ円と刃先の形状ができていないと
チェーンがうまく食いついてくれないです。

改めて標準のスプロケットの加工精度が重要なことに気付かされます。








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純正品に準じて、肉抜き穴加工しています。

8回段取り変えしますので
8か所穴加工で2時間かかります。

トータルで冶具加工も含めて
1.5日費やしています。

1万円以下で完成品買えることの
ありがたみをヒシヒシと体験できました。






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左は3型ハブセンターのマスターに

右が4型純正品、ピッチ円のマスターに

図面が無いので現物が役に立ちました。

下側が今回のワーク









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組立て確認OK

チェーン滑らかに回ります。

これでいつでも乗りに行けるというわけです。

スプロケット注文して作るメーカーもありますが、これは自分で作るという遊びなんで
他人に頼んでいたら遊びにならんですからね。
CR250Rの空冷エンジン最終型が467ということですが
50歳以下の人はリアルタイムで見たり乗ったりした人は殆どいないと思います。
当時小学生でCR250乗るわけないですからね。
私も最初に乗ったホンダのモトクロッサーはKA3(水冷の初期型)ですから
467は見たことあっても触ったことが全然ないのに、チャンバー作りで初めて触るという
因果な巡り合わせです。

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80年頃、五明(松山オートテック)へ練習に行くと、瀬戸レーシングのメンバーが430、467を並べて置いてあったのを思い出します。
あんな竹馬みたいに背の高いバイクは俺には乗れねエと思っていました。

瀬戸レーシング言えば、最初のRSC契約ライダー、
吉村太一さん、上野広一さんのチームメイト松本満男さんですね。
私が見たころはギリギリ現役の松本さんの姿でしたが
四国では、うず潮RCか瀬戸レーシングかという勢力でした。

そうか、そうか、あのとき見たマシンなのだなと。
名前を憶えているんは、池田昇さんと小椋兄弟ですかね。
当時の師匠、中川さんが「立っとるか座っとるかわからんやろ」というのが池田さんで小柄なのに速いナーと思って見ていました。
小椋さんの弟は僕と同期なんですが、兄貴の方が国際B級で81年の全日本松山大会の予選だったですけど、スタート直後の1コーナー立ち上がりでマシンから投げ出されて、駆け寄っていく姿がみえました。すると起こしたマシンのハンドルが折れていたので、そのままリタイヤでしたが、
あんな速い人が予選で転ばされるのかと思って、俺なんか絶対全日本なんか走りたくないなと思ったもんです。

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四国出身の国際A級ライダーは福本敏夫さんがカワサキで走られていたころなんですが、
それより先にメーカーと契約された人がおられたことも知らなかったんです。

当時はオートバイ雑誌しか情報がなかったですからね。
なーんも知らんとモトクロスしよりました。







また昔話かと思われるかもしれませんが
オッサンが集うと見事に昔話しかしません。
30年、40年前のことを先月のことのように、です。
「オレは小野沢に勝ったんだ」
「ええー!ほんとうですか、すごいじゃないですか」
そんで「いつの話ですか?」
「ノービスの時だ」
「なんだ35年も前のことじゃないですか」
こんな感じです。

思い起こすと、今より若かったころの方が楽しかったのでしょう。
そして人は過去の経験、出来事を積み重ねて構築されている生き物のようです。

新しいことを言うときは仕事の打ち合わせ時ですが
そうしないと生活していかれないので仕方ありません。