大型2輪は日本の道路では必要ない。そういうことを言う人が多いですが、2通りの考え方に基づいていると考えられます。
一つは大型2輪で一般道を走ったことない人。(僕もその中の一人でした)高額な車両価格、使用目的に対して使い勝手の悪い大きさや重さ、不要な馬力。所有する理由が見当たりませんね。
もう一つは以前大型2輪所有して乗っていたが、手放して中型か小型車両に乗り換えた人。
これは実体験から明確な不要論が湧いてきて、経済的にも実走行においても扱いやすい方が満足感を得られると感じたでしょう。
僕は両方の考え方を理解した上で、体験してないことは無知と同じということですから、体験してから次のステップを踏むことにしたのです。
ZX10Rは高速道路で150km/h走行時、6速6500rpmですから13000rpmで300km/hに達するバイクですが、一般道で走る場合は別の性能を体感することになります。
250や400はいっぱい乗っていましたから、その排気量では無理なことが分かっているんですが、
田舎国道では高齢者なのか、ノロノロ運転の後ろに何台もクルマが連なって付き合わされることがあります。
直線が十分に長く対向車や道路脇の歩行者などがいないことを完全に確認できれば追い越しを掛けることが可能ですが、殆どの場合はその先にカーブがあって対向車を確認することはできません。
複数の車両を追い抜き中に対向車が現れたら元の車線に戻れないので、急ブレーキで回避ということに
なってしまいます。
ところがリッターSSの加速は短い区間で瞬時に追い越しが完了できるので、ノロノロ運転に付き合うことなく一瞬で抜き去るので、安全です。加速の悪いバイクでは、追い越し完了しないうちに対向車が現れて元の車線に戻ることになるでしょう。
そういうシーンが現れる度に、このバイクでよかったと実感するのです。
ハンドル切れ角の少ないセパハンなので市街地での乗り難さはトップクラスだと思いますが、それを相殺する喜びが味わえます。
ここも行ったことなかった高知城
木造現存12天守のうち4つが四国には存在するのです。
初代築城主は長曾我部元親ですが
長曾我部は四国征伐で、僕の郷土妙口村の領主黒川氏を滅ぼした宿敵。
滅ばされた黒川氏の神社は実家の氏神石土神社に祀られていますが
ここは滅ぼした側の城ということで時代を超えて感慨深い気持ちです。
最初の高知城は河智城と名付けたほど、二つの河に囲まれた中州に立地したため
度重なる水害に嫌気がさして長曾我部はこの城を放棄して別の場所に城を築いたそうです。その後関ケ原での功績により山之内一豊が徳川家康から二十四万石の禄高を得て河智に移り
現在の石垣や天守は山之内の時代に建造されたものだそうです。
初めての高知市街で慣れない上に高知城の駐車場に入ると係員が「2輪はお預かりしてないんですよねー」と追い出そうとしました。駐車場ガラガラに空いているのに停めさせないという理由を聞いても無駄だろうと思って「どこに行けば停められますか」と尋ねたら「県庁に行って聞いてください」と言う。
行政の2輪に対する不条理な対応を経験しました。
付近をグルグルと走り回って、問題なさそうな公園内に押して入って置かせてもらいました。
そんなことしているうちに夕闇が迫ってきます。
天守に入るのは別の機会にして外観だけ鑑賞して帰路に付きたいと思います。
多分愛媛県への最短ルート、いの町からR194を走って寒風山トンネル経由で西条市へ出る峠道です。
8月にキャラバンで逆ルートで走ったことがあり、2輪で走りたい、イイ道だと思っていました。
しかし日が暮れた四国山地の真ん中を走る国道はヘッドライトの明かり以外は漆黒の闇
カーブの向うは全く見えない恐怖感と
強風と気温4℃の寒さで快適とは言えない
ドライブになりました。
そんな闇夜の峠にひと際明るいラーメン店が見えたので、ここまで何も食べてなかったせいもあり、即効で立ち寄りました。
実は誰かのモトブログ見て知っていた店名「自由軒」ここだったのですね。願ってもない展開。
豚骨でも魚介でもない、鶏がらと野菜のスープなのかわかりませんが、他県では食べたことないアッサリ系、麺のゆで加減も申し分ない中細めん、厚切りのチャーシュー。
毎回通って全メニュー制覇したい美味しさでした。
これで、寒い峠道も最後まで走破できそうです。
いの町最後のGSで給油してから小松町の実家まで83.5km、高知県は近い。
本日の走行距離471.9km乗ったなー。
実家に10R
こんな日が来ようとは、学生時代には予想できませんでした。
これからキャラバンに積み込んで埼玉へ出発です。
折角なので香川県に寄り道して帰ります。
善通寺ICで降りて丸亀城を目指そうと思いましたが、琴弾公園の標識を見つけ
銭形砂絵見てきました。
標高200mくらいの琴弾八幡宮の山から見える寛永通宝の砂絵です。
気分のいい場所です。
そして丸亀城
要塞のような高い石垣の上に見える天守は
木造現存天守の一つです。
外堀を渡って一の門から入場します。
圧巻の高さと美しい石垣は日本一を誇るものです。
当時の石切職人と土木技術の高さに驚愕です。
トラックやクレーンがあったとしても難工事だと思いますが、全て人力によるものと考えると昔の人の耐力や技術は現代人をはるかに凌ぐのではないかと思って疑いません。
別名鷹城
3階建ての天守は日本最小だとか。
石垣のスケールからすると意外ですが
この一の丸を囲む櫓と回廊が繋がっていたのですが明治のは廃城令で取り壊され天守部分だけ保存された形です。
丸亀市で最も高い場所なので讃岐平野の全貌が一の丸から見れます。
天守の西側に今治造船、東側に瀬戸大橋が見える眺望もここの魅力です。
この後は高松駅に移動して、思い出の高松港で散策しました。
初めて四国を出たのが小学3年、宇高連絡船で宇野へ渡り電車で大阪へ、EXPO'70行きました。
連絡船で初めて飲んだコーラ、いろんな初体験へ出発の場所、高松港。
新居浜のバイク仲間たちと小豆島ツーリング行って上陸10分でクラッシュして初めて救急車乗ったのもいい経験。高専卒業してから同級生と再び訪れた小豆島行フェリーも高松発です。
予讃線の終点と琴電の始発、駅の隣は高松城跡のある玉藻公園。
むちゃくちゃイイ場所に後ろ髪を引かれる思いで時間に限りがあるので、今度こそ埼玉へ出発しました。
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