2022年12月アーカイブ
市販モトクロッサーの部品には寿命があります。毎週のように練習走行やレースを走る場合は
新車から1年を超えると寿命を迎えた部品から壊れ始めます。どこも壊れないのはゆっくり走っているからですね。A級ライダーなら40時間超えると危険になります。
故障の箇所にもよりますがジャンプの手前など安全に停車することが難しい場所で起こると
非常に危険な状態になります。
そうならないために走行時間を記録し、定期交換部品を問題が起こる前に取り換える作業が
自身の安全を保障することに繋がると思います。
ドライブアクスルのベアリングが壊れたタイミングでドライブアクスルが折れて後輪ロックして前転したマシンでしたが
年内に走行可能な状態にするため
直ぐにエンジン下ろして分解、
不具合の部分を修復し、使用不可能な部品は新品交換して組みあがりました。
クランキングやトランスミッションの動作を手動で行い、正常に動くことを確認してから車体に組付けて電装や補器類を繋いでエンジン始動となります。
YZは後方排気なのでピストンの前後が前方排気エンジンと逆になりますので複数回確認しながらの組み立てです。
インテークやガソリンタンクの位置もユニークですが、それ以外は通常のマシンと変わらないので、理に適った車体レイアウトかと思います。
キャブレターのように重力の影響を受けない
フューエルインジェクションなので
キャブ車と同じ位置にインテークを設ける必要がないことを証明した形です。
ガソリンタンクもフューエルポンプで燃圧を掛けるのだから、もっと低い位置にすればシートレール下げられるのだが、低身長ライダー向けに改造できそうです。
エンジンオイルとクーラント入れて、燃料系と電装繋いだら、セル一発でエンジン始動できました。
当たり前なんですが、丸一日掛け整備作業で一点でもミスがあると再びエンジン下ろしてやり直しになるので少しは緊張する儀式なんです。
これで年末までに走行可能にする予定が2週間前倒しできました。
年末まで予定いっぱいなので予定外の仕事で大わらわでした。
1945年、第2次世界大戦で日本が降伏したときにソ連が日ソ不可侵条約を破棄し、北方領土と満州国に攻め込んできた史実がありますが、そこで戦死した犠牲者は何も語る術がありませんでした。
しかし生存した人から体験したことを親族や友人に伝えることができました。
大正生まれの若者だった私の叔父は、日本軍に徴用され満州に渡ったことや、終戦後ソ連軍に捕まって捕虜になったことなど全く知らずに、愉快でいい加減な叔父だと思って50年も生きてきました。
何にも知らないで、叔父のことを敬うこともなく、何不自由なく生きてきた自分を恥じたいと思います。
戦争体験者の多くは体験した嫌な記憶を思い出したくないためか、親族にも語らないことがあるようです。
私の叔父から直接当時のことを聞いたことがありません。
シベリアに9年間抑留されて帰ってきたことは父親が晩年に教えてくれたことで
工藤家の実家の近所が叔父の生家で、
父親とは年上の兄貴分のような関係でした。
だから、帰国直後は家族や友人にシベリアで過酷な虐待を受けてきたことを詳しく話したと思います。
冬になるとマイナス20℃の極寒で大した防寒着も支給されず強制労働や粗末な食事。
映画「ラーゲリより愛をこめて」によると第一便の引き上げは終戦から9年目、諜報活動の疑いを掛けられた捕虜は12年後(1957年)私が生まれる6年前まで抑留が続いていた事実。
叔父は一便の船に乗れたので9年だっただろうと分かりました。
私の父親の兄弟は3男2女で父親は次男、叔父は次女のフジ子さんと結婚しました。
その間に生まれた私より4つ年上の娘さんを一人授かりました。
その後のことは娘さんから、私の父親の葬儀のときに聞きました。
シベリア抑留から帰った叔父が先ず言ったことは「愛子はどうしている」だったそうで
愛子さんは工藤家の長女、一際上品な印象の女性でした。
しかし、そのときは既に地元の有名企業住友化学に勤務する男性宅に嫁いでおりました。(残念!)
愛子さんと再会することを願いながら辛い強制労働に耐え続けたに違いありません。
運命は残酷です。残っていた次女のフジ子さんと叔父は結婚することになりました。
フジ子さんは働き者で、地元のスーパーで経理部まで任される幹部社員に、
叔父は、軍人でない徴用のためかわかりませんが軍人恩給は貰えてなかったかもしれません。
安い町営住宅で一家3人は暮らし、一人娘は学校教員になり、フジ子さんもお金を貯めて一戸建ての住まいを持ちました。
娘さんから聞いた話では、叔父夫婦が喧嘩する度に「ワシはお前ではなくて愛子がよかったんじゃ!」と
不貞腐れていたそうで、国同士の都合で個人の権利は奪われ、人生の歯車を大きく狂わされた
叔父の人生の物語、大正生まれの若者たちの犠牲の上に私たちの便利や平和があることを忘れないようにしたいと思います。
これはね、何度も紹介してますから
説明を省きますが
ビンテージ調のサイレンサー
最近、半年以上前にご注文いただいた別製品のお客さんから「納期はいつか」という
問い合わせがくることが多いです。
無理もありません。
しかし、ろくに生産設備もないまま
手作りで製作に応じていますので
作業時間が掛かってしまうことは
ご理解いただきたいです。
一生懸命やってますから、半年以上お待ちいただいているお客さんなら、あと数か月我慢していただければ希望の商品が手元に届くでしょう。
今、ロット生産してますからね。
グラスウール詰めて、蓋を付けるところです。
マウントステーやエンドパイプも拵えてありますから、あとは組み立てるだけ。
マウントステーの取り付けは治具に合わせて溶接します。
なんとなく昭和の香りがする零細企業の様相ですね。
ここは30年間時が止まっているんです。
多分このまま設備投資しないで余生を送っていくことになると思います。
スポーツ走行中にエンジンが壊れてほしくないですね。
そのため定期的に分解、点検整備を行う必要があります。整備を怠っていると、
走っている限り金属部品はダメージが蓄積して確実に破壊します。
その破壊するタイミングがコース上の安全な場所で起こるとは限りません。
むしろ最悪の場所でエンジンが止まってしまうこともあり得るのでした。
この車体は4速全開でダブルジャンプを飛ぶ場所で、なんと上り斜面の踏切りでエンジンが壊れて後輪ロックしたまま
フロントからジャンプの谷間に墜落して前転したそうです。
モトクロス走行中に最も経験したくないアクシデントです。
幸い後続車を巻き込んだり、ライダーの身体能力が高かったおかげか、怪我なく済んだようですが、運が悪ければ重大な事故になったかもしれない危機でした。
さーて、外観からは異常が認められないですが、ドライブシャフトはロックしたまま動きません。
これからエンジン下ろして分解して原因を確かめたいと思います。
腰上から順番に外していき
クラッチアウターを外したときに
回らなかったクランクが正常に回りました。
これで、メインシャフトとドライブシャフトの間で問題が起きていることがわかります。
クランクケースを開く段階でドライブシャフトの軸が傾いているのか、負荷がかかって
簡単に開くことができませんでした。
苦労して分解したクランクケースからでてきたドライブシャフトの3速と4速の間で捩じ切れていました。
ドライブシャフトのL側ベアリングのリテーナーが壊れてボールが欠落しています。
推定ですが最初に壊れたのはこのベアリングで、シャフトが傾いて回転曲げのような負荷が掛かってシャフトの溝から切り欠きの効果で亀裂が発生して破壊に至った。
R側ベアリングの突き当たり部分が割れています。
シャフトが折れた際に軸が右側に押されて
ケースの段付き部分を突き壊したと思われます。
このままではベアリングの位置が動く可能性があるので、ケース交換する必要がありますが
他の部分にダメージが無いようなので直して使いたいと思います。
ベアリングで位置決めをした状態で段付き部を溶接で補修しました。
このベアリングを含めて3軸の左右ベアリングは新品に交換するので
クランクケースは再使用したいと思います。
2年乗った車体なので調度いいオーバーホールの時期だったでしょう。
早急に部品注文して年末までに完成させなくてはなりません。